2007/01/08

蟹黄魚翅撈飯(22)

 「老正興菜館」のオーナーである沈有國氏が語るには「上海料理といっても、昔からあって、正真正銘の伝統的な上海料理といえるのは、20種ぐらいのもんだよ。それもほとんどが家庭料理なんだね。

 そもそも上海の歴史を見ればよくわかることなんだが、上海は開港してから発展してきた。今、上海料理とされているもの、ほとんどの料理は、1930年代に上海周辺の料理をまとめて上海料理と語るようになったものだね。だからその歴史は100年にも満たない。

 おまけに戦争に巻き込まれ、47年に中華人民共和国が誕生して、その歴史も、伝統も、寸断されてしまったんだから」というのである。

 上海が貿易港として発展し、海運、金融の中心地となり、また、紡績などの軽工業を中心に繁栄を極めたのは20世紀に入ってからのことだ。

 ことに1920~30年代はまさにピークを極めた時代だった。そうした都市の繁栄を背景に、食文化も発展を遂げてきた、というのはすでに知られていることだ。

 ついでながら娯楽、ことに映画産業も飛躍を遂げて、東洋のハリウッドとまで語られるほどにもなる。 そして、食だが、先の沈さんの言葉通り、上海には、伝統的な上海料理は、家庭料理以外にはなかった、というのは事実のようである。

 たとえば、上海料理の代表的な料理とされる「東坡肉」は、前述の通り、本来は杭州の名菜とされるものだ。もっと身近な例でいえば、スープ入りの饅頭の「小籠包」も、厳密には上海郊外の南翔の名物である。
 
 上海が都市としての発展、繁栄するにあたって、その牽引力となったのは資本家だが、それを支えたのは地方から流入してきた労働者である。そして、彼ら、及び、都市で生活する一般庶民の食を担ってきたのは、手軽な軽便な小吃類、饅頭や麺類、簡素な惣菜の類だった。
 
 といった食事情は、都市社会が形成される過程における食事情は、どこでも共通しているものだ。
 江戸における蕎麦、深川丼をはじめとす丼飯、寿司、そして、北京における饅頭や餅の類や特有の小吃類を見れば明らかだ。
 
 上海の小吃の中心となったのも饅頭類、それに粗麺を主体とする麺類だったようである。