「ね、「いか」は何?」
「この時期、「すみ(いか)」と「あおり(いか)」のどっちかなんで…
「だから、聞いてんの!で?」
「「あおり」です」
「じゃ、それ」
「あおり」は、「いか」特有のぬめりのあるねっとり感よりも、すっきり。
清冽で、張りがある。凛とした清々しさが漲る舌触り、すっと歯が入るしなやかさが心地いい。
その若さ、清々しさが、遅い春、初夏間近、の感じの味、風味。
口を変えるつもりで、貝。
なんですけど、「みる(貝)」にするか、それとも「赤貝」か。
「みる」のパリポリの活きのいい歯触り、噛み応えも楽しみだけど、今の時期なら、熟れ物になってるかな?
ってことで 「赤貝!」
案の定、潤んでました。
けど、なんだかもじもじを身をよじるような潤み具合!
「どしよか、そろそろ時間も時間だし、まぐろの「巻き物」にしようかな……
その前に、赤身、中トロ、一貫ずつちょうだい」
そしたら、いきなり身を屈め、下からごそごそと包みを取り出してまな板にでんと置き、油紙をめくって、大事に大事に、いたわるように塊を取り出して、すっと柳刃を入れる。
「え! なんか面倒(かけるようなこと)言っちゃった?」と私。
「いや、新しく、切らないと……」
「ね、これ、いいじゃない、この赤身。
しっとり潤んでて、緻密で、濃密で。
なんて言っていいのこの味!
もうわかんないや。
う~ん、潤んだ血の味、っていうのかな。
味もそうだけど、鼻に抜ける香りがいいね。
この香りがいいの。
赤身らしい、赤身の香り!」。
「あの、この「中とろ」なんだけど、なんだか、身体が開いてないっていうかさ。
う~ん、身体が伸びきってなくて、伸び伸び、ほぐれてない、っていうかさ……」
「え! まあ、今、切ったばかりなんで……。
こないだも、ほら、お知り合いの○○さん、久しぶりにお見えになって、「中とろ」だしたら、「開いてないね」って。
(空気に)さらして、なじませとくね、そうなるんですけど。
そん時も、仕舞い込んでたやつ、新しく切ったんで」。
「あのさ、すんません、まぐろの巻き物やめて「赤身」もう一貫」
「いいね、この赤身。それにさ、すごく懐かしい味。
ほら、昔、(先代の)親方の頃にね
「わ、すげえ、これ!香りがすごい!」
って言ってたあの赤身、思い出す。
だってさ「赤身」の香りのよさ、凄さって、ここに通って覚えたようなもんだし……」
「そう言ってくれると嬉しいです。 「懐かしい味」、「ここの味」だ、って。
親方から教わったこと、それに、昔ながらのやり方、そのままやるだけですから。
ですから、そういう魚を……」
「う~ん、でもさ、懐かしいけど、今のもんだし、今の味でもあるわけでしょ?
こうやって見つけてきたのは(先代の)親方じゃないわけだし、さ」
「いや、ま、最初の頃は教えられたとおり、傍目でみて覚えたまんま。
これかな?って、入れてみたら、違ったりしたこともありましたよ。
で、(仕入れた先に)話を聞いたら、なのそっちが選んだんだしって。
なら、なんで最初からそう言って教えてくれないだろうって、てね」。
「あそう。そうだろうね。そうやって覚えてくんだね。
で、これで、どんぐらい?」
「二日、寝かせたやつですけど」
「そうなんだ。
いいね、この赤身!しっとり、潤んだとこが」
「でも、「赤身」にしても「中とろ」にしても、その部位、場所によって、味や香りが違いますから。
日によって、入れた魚によって、違うわけだし……」
「あ、そりゃ、当然でしょ。だって、生きてるもんだし、それぞれ違うのは当然だし」
と、魚に限らず、牛や豚、それに野菜にいたるまで、それぞれに個体差あり。
ことに中国料理における青野菜の扱い、先っぽの葉と根っ子の葉、先っぽの芯と根っ子の芯、味も違えば、風味も違うから、その処理、見極め、調理が難しいし、それをこなして当たり前。
とまあ、私は講釈ひとしきり。
「だから「赤身」も「中とろ」も、寝かせ方、部位、場所によって、切り分け方、その厚みも変えてるってわけでしょ?
そんな話、この店のこと書いてくれる人に、ちゃんと教えてあげなきゃ!」
あ、余計なひとこと、でしたね。
そしたら
「いえいえ、私ごときが、そんなこと」 と、謙虚な答えが返ってきました。