2011/03/25

東北関東大震災

被災された方々、心から見舞い申し上げます。
地震の当日、大船渡が津波で罹災というニュースを知って以来、携帯も通じず安否情報を確認し続けていた大船渡の「三陸シーファーム」の志田建志さん一家と連絡がとれ、建志さん一家の無事を確認できました。建志さんの兄、シダッチの恵洋さんも無事とのこと。

東京も地震に見舞われましたが、幸いにして我が家は損傷もなし。ですが、仕事場、棚に収まっていたものは何もありませんでしたが、日頃の整理不精が祟って積み上げたままに放置していた書籍、雑誌、新聞、CD類のすべてが散乱。

机の上に閉じた状態だったPCのノートブックを開けてみると、液晶画面のど真ん中に亀裂が走るというダメージ。どうやら重い何かが飛来し、ダメージを与えた様子。何が飛来したのか現場に居合わせなかったことから不明です。

PCの復帰に手間取り、ヴァン・ダイクはじめアメリカの知人の何人から届いたお見舞いメールを見ることができたのは地震から日を経てのことでした。余震が続くことや福島の原子力発電所の事故の話を伝えると「こっちに来て、しばらく居れば」という返信メールがありました。

地震のあった夜、所用あって駅前に。小田急が止まっていたこともあってバス亭には長蛇の列。駅ビルの商店は地震の際、陳列品やショーケースが壊れたことなどから急遽営業中止。派手な陳列をしていた近隣の商店も同様の被害にあって閉店状態。

そんな中で営業を続けるスーパーや商店もありましたが客は少なく、バスを待つ長蛇の列の前で始まった閉店間際のサーヴィスセールに見向きする人もいない。
その翌日、駅ビルは地震当日同様、営業中止。閉店状態のままの店も多い中で、地震の当夜人数の少なかったスーパーは人だかりで一杯。

ほとんどの客の籠にはミネラルウォーターやレトルト食品、カップヌードルの類やら米などがどっさり。日用雑貨を扱う店ではトイレットペーパーやティッシュペイパー、ガスボンベ電池類がみるみるなくなっていく。

地震当夜、店員のサーヴィスセールの呼び声に誰も見向きもしなかったパン屋の陳列ケースはほぼ売り切れのがら空き状態。あっけにとられるしかないすざまじい光景でした。ガソリンスタンドでは満タンする車が相次いだ、なんて話も聞きました。それもいざ東京を脱出という時のための準備、なんて話にも驚きました。その翌日、訪れた近隣のスーパーでは、日常雑貨、米、水だけでなく豆腐、お揚げ、納豆の類なども姿を消して陳列棚はガラガラの状態。

神戸で地震があった日の夜、ようやく実家と連絡がつき、当座必要な物資を依頼され、駅前のスーパーを駆け巡った時には、今回のような騒動はありませんでした。新幹線が動き芦屋までなんとか、という情報を得て神戸に戻った際、新幹線の中で私同様、日常物資や水を積んだカートを引っ張る人に何人も出くわしました。

今回のすざまじい光景は東京だけでなく、関東周辺、さらには大阪あたりでも同様に食料費や日用雑貨、ガソリンなどの買占め、備蓄が、なんて話を知って驚きました。それらが最も必要な所にこそ……と思うのは当然でしょう。

情報を知りたくてTV、ラジオに耳を傾けましたが、まるでスポーツ中継や24時間TVさながらに感情的で煽動的でわめきちらすことが目立った民放の報道姿勢……冷静に事実を報道し、検討するなんてこと出来ないもんでしょうか。

そして金町の浄水場での放射能検出が報道されて直後、ミネラルウォーターの類が瞬時にしてスーパーから掻き消えた。実際、駅前のスーパーに出かけた際、ガス入りのもの何本か残っていましたが軟水の大きなボトルのミネラルウォターは皆無。わずかに残っていた小ボトルもひとり2本までという制限付き。帰りに立ち寄った駅の購買店では3本までという制限付き。

本日、出かけた駅前のスーパーの野菜売り場の前で耳にしたのは
「あ、これ千葉産……千葉県も放射能反応があったよね……やめよう」なんて声。
埼玉産のほうれん草は山積みのまま売れる気配もなし。
風評被害の現実を目の当たりにしました。