そして「蒜子火腩魚球煲/白身魚と豚バラ肉の土鍋煮込み」。
袁さんのこの種の土鍋料理、いつもと変わらず料理は煮えたぎっていてふつふつと音を立てながら、熱々のまんま登場。湯気がもうもうと上がってますから画像を取るのに一苦労。しかも、湯気が少しばかり収まるのを待ってなお、ふつふつと音を立ててるんですからその熱さ、想像してもらえるはず。大変なのは料理をテーブルに運んでくるアテンドの柏木さん。
白身魚は「めろ」。それもぶつ切りなんで「魚球」ってわけです。衣で覆われていて、衣がだし入りの煮汁をしっかり吸い込んでます。頬張ると「めろ」の身がほろりと崩れる。
「めろ」は「銀むつ」なんて名でスーパーでみかけました。もっとも、切り身ばっかりで一匹丸ごとの「めろ」はみかけたことがありません。
検索してみるとスズキ目に属する「マジェランアイナメ」、もしくは「ライギョダマシ」ってことで、深海魚。一時「銀ダラ」の収穫が激減し、それにとってかわるものとして一般化。ところが、その「銀だら」にしても、
厳密には「たら」じゃないというからややこしい。
私の印象じゃ「あいなめ」というよりも「たら」に近い感じで、脂肪分はたっぷり。というものの、なんだか、茫洋としていてとぼけているような味、というイメージが支配的。ですから、塩でしっかり締めてフライになんかしたもんです。
それが、こうやって衣にくるまれて調理されれば、ほろりと崩れる身の触感、それに茫洋とした感じも薄れ、身が引き締まる感じ。
ということでは、下拵え、塩味の塩梅、工夫ありなんじゃないでしょうか。
「豚バラ肉」というのは、厳密には皮付きバラ肉の焼き物の「焼肉」。「焼肉」をそのまんま食べると、焼かれた皮のぱりさく感が絶妙なんですが、この料理の場合、衣で包んである。というわけで、皮のぱりさく感はくたっとなって、しっとりじゅわりの触感。さしずめ天つゆにつけた天麩羅状態なわけです。しかも、これまただし入りの煮汁を吸い込んでいて旨い。
それ以外に干し椎茸。旨味のある味、風味は格別。加えて、見逃せないが料理名に「蒜子」とあるように、にんにくの存在。その一粒、丸ごと煎り焼きにして風味付けにされてるわけですが、それだけじゃあない。
丸ごと一粒のにんにく。火を通せばとんがった辛味が薄れ、甘味、旨味を醸し出す。それが、この料理の味の決め手のひとつ、なのは明らかです。煮込まれてそのエッセンスを抽出した後のにんにくは、だしがら状態のはずなのに、ほくほくとしていて旨い。
先の例湯での「百合根」に通じるところもある。香味野菜ですから、食べる必要もないのに、そのほくほく感、甘味のかすかに残っただしがら状態のにんにく、食べたくなります。
「あ、どうしよう。にんにく食べると、匂い、残っちゃう!けど、美味しいから、食べちゃいます!」なんて声も上がったりして。でも、この料理にはすっかりにんにくのエキス、が抽出されてるわけですから、にんにく食べなくったって、同じこと、無駄な言い訳じゃないでしょうか。
それより、この料理の味付け、だし入りの煮汁が旨い。でも、そのだし、広東料理でのこの種の料理、炒め鍋煮込みには一般的なことですけど、「上湯」じゃなくて「二湯」、つまりは二番だし?なんて感じでしたが、袁さんに尋ねたところ、案の定「ニ湯」ってことでした。そして、味付けはオイスター・ソースの「蠔油」、中国たまり醤油の「老抽」。
日本では鍋肌に醤油を垂らして生まれる焼け焦げの香ばしさ、風味が中華らしさの特徴のひとつとして語られたりしますけど、それっていささか粗野で乱暴な調味、調理の産物。それとは対照的な「だし」と「蠔油」、「老抽」のこくのある旨味による奥深い味わい、風味が素晴らしい。
香港じゃあたりまえ、なんですが日本ではなかなかお目にかかれない土鍋炒め煮込み料理です。それだけでも嬉しくなっちゃいます。