三社祭、鳥越祭、誕生日というビッグ・イベントも終わって、ようやく「マカオ・香港の旅」の復活です。復活、第一弾は香港の「粥話」の続編。
香港には「麵通」がいるように「粥通」が存在する。しかも香港の「粥通」は「麵通」以上に「粥」を仔細に至るまで吟味し、評価する。
まずは素材の米の産地、品種、種類、形状。さらには粥作りの為のだしのとりかた、だしの素材。 そして、炊き方。素材である米とだしの分量、その比率、炊き込みに要する時間。
さらに、炊かれた粥の形状、質感、舌触り、味、旨味、香り、などである。
もともと中国の北方は「麵」、つまりは小麦粉が主食の中心を占める。それに対して中部から南部にかけては、稲作が盛んなことから「米」が主食の中心だ。それだけに広東省、及びその食文化圏に属する香港では、米を素材にした料理のひとつである「粥」にはうるさい。
とはいえ、香港の「粥」、日本の「粥」とはいささか異なる。それは両者の「粥」を見比べれば歴然なのだが、日本の「粥」は、米粒を炊き込んであってもその原型を残しているのが一般的。それに対して香港の「粥」は、原型をほぼ残さず炊き込まれた糊状に近い。
実は広東省でも東部の潮州ではふたつのタイプの「粥」があるが、その一種が日本の「粥」の形状に似ていて、米粒の原型を残している。雑炊に近いものすらあるほどだ。「粥」自体の作り方、米とだしの分量、炊き方など、いずれも広東式の「粥」とは異なる。
さて、香港の「粥」の評価の基本のポイントは「綿」、「滑」、「甜」、「香」。
「綿」とは、とろけるような歯触り、舌触り。「滑」というのは滑らかさ、柔らかさ。つまりは、ほどほどに粘着質で、舌にとろけ、しかも、きめ細かな滑らかさが必須の条件というわけだ。「甜」というのは粥状になった米の甘味。中国では「鮮味」と語られる「旨味」をも意味する。むろん、それにはだしの塩梅、つまり、味、風味も関係してのことだ。だしがどのように作られているか、その素材、原料についての探求についてもうるさく、評価の重要なポイントになっている。
「香」は、風味が豊かなことを意味する。むろん米の香り、「粥」そのものの風味を意味するものであるのは言うまでもない。しかも、香港で「粥」の名店とされる店は、粥状の米の状態が、きめ細かでさらっとしたタイプ、それとは対照的に、ねっとりとしたいわばコクのあるタイプ、の2派に分かれる、というのが面白く、興味深いところなのだ。その中庸、両者の間に位置するものもある。が、そうしたものはどっちつかず、ということで「ただの「粥」」としての評価を受けるだけのことがほとんどだ。そう、ご近所御用達で馴染みの味、口にあった味の「粥」という以上の評価を得ることはない。
香港の「粥通」は、かように「粥」について、その仔細に至るまでうるさい。
そして、先に紹介してきた「妹記」は「ねっとりとしてコクのあるタイプ」の代表と言える店。「妹記」の粥は、ねっとり、こってりとしていてコクがあるだけでなく、どっしりとした重量感がある。一碗食べれば、お腹一杯。しかも、腹持ちがいい。
それとは対照的に「きめ細かでさらりとしてタイプ」の代表として挙げられるのが、上環の「生記粥品専家」のそれだ。香港では「妹記」以上に支持者が多く、香港一との評価を得ている店である。
ところがである。「粥」そのものの歯触り、舌触り、滑から、きめ細かさ、とろけ具合やねっとりの質感だけでなく、「だし」の作り方、その味、風味も対照的で、それぞれに特徴がある。しかも、「粥」と「だし」のバランス、その一体感こそ、旨さを感じさせる最大の要因なのだ。そんなことでも、どっちが旨いか、すなわち、どっちが「口」にあっているかと、香港の「粥通」はうるさい。評価の分かれ目になっているところである。