2006/12/24

蟹黄魚翅撈飯(10)

 先にふれた北京料理の「砂鍋魚翅煲」、上海料理、杭州料理の「火瞳魚翅」のいずれとも、本場や香港で食べたことがある。

 「砂鍋魚翅煲」は白濁した濃厚な味のスープ仕立てによるもので、鶏一羽とともに煮込んだもの、また、「鮑翅」を使ったものもあった。
 「火瞳魚翅」は金華火腿をふんだんに使ったもので、鍋底に若鶏の童鶏が丸ごと一羽沈んだ野生味のある豪快な味のものだった。ふかひれが「鮑翅」だったこともある。

 いずれも、「牙揀翅」が使われることが多いようで、「牙揀翅」が持つ特有のくせ、持ち味が巧みに生かされていた。

 それら「牙揀翅」が持つ特有のくせ、持ち味は、それらを使うことが多い日本の中国料理店の「ふかひれの姿煮込み」からも感じられることだ。

 しかし、「牙揀翅」の使い方は、先の「砂鍋魚翅煲」や「火瞳魚翅」とは異なる。
 むしろ、その磯くささを至極あたりまえのものとして受け止め、そのままに扱い、調理しているような印象すら受ける。

 日本の中国料理店におけるふかひれ料理のほとんどを占めるのは、「牙揀翅」、「摩加翅」を使った醤油煮込みによる「紅焼魚翅」だ。それも、とろみが多く、濃厚な味付けを特徴としている例が多い。また、味付け、調味が重視され、風味には乏しいものに終わっているのも目立って多い。

 もっとも、調味料主体による「味」を重視し、たっぷりとろみをつけ、「香」にはさほど関心が払われない調理方法、スタイルは、日本独自の日本式の「紅焼魚翅」であり、大きな特徴にもなっている。

 それは、日本で中国料理といえば、油っこく、濃厚な味付けがその特徴であり、真髄だというイメージがあることによるものだろう。

 「香」や「風味」には、さして関心が払われず、油濃く、濃厚な味付けによる日本式の中国料理に親しんできた日本人にとって、まさに嗜好にあったもの、嗜好を反映したものでもある。

 ちなみに、「牙揀翅」、「摩加翅」を使った澄まし仕立ての「清湯魚翅」は、一時、六本木の中国飯店のメニューにあった。福臨門が東京に進出して後、急遽、メニューに加えられたものだ。

 試したことがあるが、上湯が上質のものではなく、素材であるふかひれにあわせたものでもなかった。

 おまけに、ふかひれ自体、磯臭い匂いを残したままのものだった。
 その後、それがどうなったのか、私は知らない。

 日本の中国料理店におけるふかひれ料理、ことに「牙揀翅」による「紅焼魚翅」の多くが、特有の匂い、臭みを持っているのは、それが当たり前のものとして受け止められていること。
 また、その上で日本式のふかひれの醤油煮込みのスタイルが、確立されてしまっていること。

 さらに、日本の中国料理店の多くが、原ひれを戻す調理を省き、あらかじめ原ひれの戻しが済まされ、加工処理が施されたふかひれを使用していることに、関係しているのではないかと思われる。

 原びれを戻す段階で、不要な脂や粘着成分が取り除かれる。
 その作業において重視されるのは、ふかひれの持ち味、特質をいかに生かすか、ということになるが、その認識、対処の方法が、香港はじめ中国人の料理人と日本の業者では異なるのではないか。

 また、中国人の料理人と日本におけるふかひれという素材そのものへの認識、捉え方、調理に対する差異が介在するのではないか、とも思われる。

 たとえば、戻したふかひれを刺身として食べることなど、その典型的なものだ。実に日本人的な発想である。

 原びれを戻す作業は手間隙のかかることであり、人件費を含め、諸費用もかかる。
 加工業者にとって、不要な脂や粘着成分を取り除き、戻し作業を丹念に行えば行うほど、ふかひれの自体のかさは減り、形状が小さくなる。
 利潤、利益を生み出しにくい、という現実がある。

 料理店、料理人が採算を重視し、手間隙のかかる原ひれを戻す作業を省くのも、利益を考えれば当然なことだ。

 日本の中国料理店で、原びれの戻し作業を加工業者にゆだねた半加工製品を使用している料理店は少なくない。というより、現実は、ほとんどがそうだと言えるだろう。

 冒頭で触れた家庭画報の中国料理特集における各店のふかひれ料理を見れば、その現実は明からであり、原びれから戻す作業を行っている店は限られている。

 それら日本の中国料理店におけるふかひれの扱い、その対処と似ているのが、日本の中国料理店における「火腿」、いわゆる中国ハムの扱い、処理である。

 それについては、別途、触れることにしたい。