2008/04/28

閑話休題 チープ・トリック・アト・武道館・アゲインの2

 「ね、「いか」は何?」
 「この時期、「すみ(いか)」と「あおり(いか)」のどっちかなんで…
 「だから、聞いてんの!で?」
 「「あおり」です」
 「じゃ、それ」

 「あおり」は、「いか」特有のぬめりのあるねっとり感よりも、すっきり。
 清冽で、張りがある。凛とした清々しさが漲る舌触り、すっと歯が入るしなやかさが心地いい。
 その若さ、清々しさが、遅い春、初夏間近、の感じの味、風味。

 口を変えるつもりで、貝。
 なんですけど、「みる(貝)」にするか、それとも「赤貝」か。
 「みる」のパリポリの活きのいい歯触り、噛み応えも楽しみだけど、今の時期なら、熟れ物になってるかな?
 ってことで 「赤貝!」
 案の定、潤んでました。
 けど、なんだかもじもじを身をよじるような潤み具合!

 「どしよか、そろそろ時間も時間だし、まぐろの「巻き物」にしようかな……
 その前に、赤身、中トロ、一貫ずつちょうだい」

 そしたら、いきなり身を屈め、下からごそごそと包みを取り出してまな板にでんと置き、油紙をめくって、大事に大事に、いたわるように塊を取り出して、すっと柳刃を入れる。

 「え! なんか面倒(かけるようなこと)言っちゃった?」と私。
 「いや、新しく、切らないと……」

 「ね、これ、いいじゃない、この赤身。
  しっとり潤んでて、緻密で、濃密で。
  なんて言っていいのこの味!
  もうわかんないや。 
  う~ん、潤んだ血の味、っていうのかな。
  味もそうだけど、鼻に抜ける香りがいいね。
  この香りがいいの。
  赤身らしい、赤身の香り!」。

 「あの、この「中とろ」なんだけど、なんだか、身体が開いてないっていうかさ。
  う~ん、身体が伸びきってなくて、伸び伸び、ほぐれてない、っていうかさ……」
 「え! まあ、今、切ったばかりなんで……。
  こないだも、ほら、お知り合いの○○さん、久しぶりにお見えになって、「中とろ」だしたら、「開いてないね」って。
 (空気に)さらして、なじませとくね、そうなるんですけど。
 そん時も、仕舞い込んでたやつ、新しく切ったんで」。

 「あのさ、すんません、まぐろの巻き物やめて「赤身」もう一貫」

 「いいね、この赤身。それにさ、すごく懐かしい味。
 ほら、昔、(先代の)親方の頃にね
 「わ、すげえ、これ!香りがすごい!」
 って言ってたあの赤身、思い出す。
 だってさ「赤身」の香りのよさ、凄さって、ここに通って覚えたようなもんだし……」

 「そう言ってくれると嬉しいです。 「懐かしい味」、「ここの味」だ、って。
  親方から教わったこと、それに、昔ながらのやり方、そのままやるだけですから。
  ですから、そういう魚を……」

 「う~ん、でもさ、懐かしいけど、今のもんだし、今の味でもあるわけでしょ?
  こうやって見つけてきたのは(先代の)親方じゃないわけだし、さ」

 「いや、ま、最初の頃は教えられたとおり、傍目でみて覚えたまんま。
  これかな?って、入れてみたら、違ったりしたこともありましたよ。
  で、(仕入れた先に)話を聞いたら、なのそっちが選んだんだしって。
  なら、なんで最初からそう言って教えてくれないだろうって、てね」。

 「あそう。そうだろうね。そうやって覚えてくんだね。
  で、これで、どんぐらい?」 
 「二日、寝かせたやつですけど」
 「そうなんだ。
  いいね、この赤身!しっとり、潤んだとこが」

 「でも、「赤身」にしても「中とろ」にしても、その部位、場所によって、味や香りが違いますから。
 日によって、入れた魚によって、違うわけだし……」

 「あ、そりゃ、当然でしょ。だって、生きてるもんだし、それぞれ違うのは当然だし」
 と、魚に限らず、牛や豚、それに野菜にいたるまで、それぞれに個体差あり。
 ことに中国料理における青野菜の扱い、先っぽの葉と根っ子の葉、先っぽの芯と根っ子の芯、味も違えば、風味も違うから、その処理、見極め、調理が難しいし、それをこなして当たり前。
 とまあ、私は講釈ひとしきり。

 「だから「赤身」も「中とろ」も、寝かせ方、部位、場所によって、切り分け方、その厚みも変えてるってわけでしょ?
 そんな話、この店のこと書いてくれる人に、ちゃんと教えてあげなきゃ!」
 あ、余計なひとこと、でしたね。
 そしたら
 「いえいえ、私ごときが、そんなこと」 と、謙虚な答えが返ってきました。

2008/04/26

閑話休題 チープ・トリック・アト・武道館・アゲイン

 30年ぶりに実現したチープ・トリックの「ライブ・アット・武道館・アゲイン」が終わったのは9時前のこと。
 終演後、懐かしい顔ぶれに久々に出会って、昔話にひとしきり。
 それより、この時間なら、間に合いそう。バック・ステージにメンバーに会いに行くのはやめて、九段の坂を専大前へ。
 一本裏筋に入り、久しぶりに暖簾をくぐりました。

 嬉しいことに、奥に家族連れの先客が3人だけ。
 おかみさんに会うのは何回目かだし、私、髪型、ちょっと変えたもので私がわかんなかったのか、怪訝な顔。

 その横から
 「どうしたんです、またあ!」
 と、栃木なまりの太い声。

 「武道館の帰り。ちょっと食べさせてよ、いいでしょ?」

 「武道館に来るたびに、帰りによろうと思うんだけど、ほら、最近、終演時間が遅くってさ。それに、バックステージ、って楽屋ね、なんかに行ったら、10時半は軽く過ぎちゃうし。それがさ、今日は、おやじばっかのバンドだったから早く終わってね。あ、こいつは「行ける」って、来たわけ」

 1年以上ぶりのご無沙汰ですけど、席に座れば、すっと店に溶け込んで、先週の土曜日も、同じ席に座ってたような感じです。
 「お酒、常温でね」と、おかみさんに。

 「なんか切りましょうか?」
 「いや、いいよ、今日は。時間も遅いし、すぐ食べる。
 こはだ!」
 と言ってから
 「2貫ずつだよ」と、念押し。
 そしたら
 「わかってますから」と、目で答えが返ってきました。

 「こはだ」は、酢がちょっと強い感じで、塩もしっかり。
 ご飯もぬる目になっちゃって、形はどっしり、ぼってり。
 けど、「こはだ」とご飯がなじんでて、しっかりの味。
 軽さやキレよりも、しっかりの味、というのが「らしく」っていいなあ。
 そう、先代の親方と違う「らしさ」じゃん、なんて納得しました。

 「白身、なんだけど、「しま(あじ)」の前に、ね。 「かれい」てどこの?」
 「常陸だと思いますけど」 
 「あそ、いいの?」
 「ええ、いいと思いますよ」
 「じゃ、それ。それから「しま(あじ)」ね!」

 つけ板に並んだ「かれい」の2貫、磨きのかかった大理石の色合いと艶。
 ちょっと醤油をはじっこにつけて、頬ばると「かれい」は、しっとりの舌触り。
 厚みがあって、ぐっと噛み締めると弾力がある。
 といってはじき返すような弾力じゃなくって、歯にまとわるようなねっとり感も。
 さらに、噛み締めると、次第に味わいと香りが立ってくる。

 「ン!?、この味、香り」ってと、記憶センサーが稼動しはじめました。
 「もしかして、海の精、ヨードの味、香り?」
 そうか、春、ですから。

 春先の春のはしりの味は、ほろ苦さ。春を待つ味です。
 それが、春になると、暖かい陽気につられて、衣をぬぎすてる。
 そして、根っ子にある味、風味が頭をもたげてくる。

 春の野菜の味わい、風味は、ヨードがたっぷり。
 それと同じく春の「かれい」も同じなんだと、気づきました。
 春を教えてくれる「かれい」ってことですね。

 その「かれい」。
 春の陽気が海の底まで届いてか、身体はのびのび。
 そんな「かれい」をいたわり、寝かせたからこそ、醸しだされるしっとり感とねっとり感。

 それにしても「かれい」の切り身の厚さの按配がいい。
 この厚さあってこその噛み応え。それに、噛み締めれば味、香りが立つ身の厚さ。

 「(かれいの)切り方、いいね。この厚み」。
 「ええ、そのぐらいの厚みがないと、この「かれい」の味、風味がでないんですよ」
 「なの、わかってる、って。だから切り方がいいって、ほめたんじゃん!」

 寿司の握りの話、食味評論の方からグルメの方まで、それぞれにウンチクありです。
 その手の話、寿司案内、色々な書籍、拝見しますが、ネタっていうのか、タネっていうのか、新鮮だとか、仕事がしてあるとか、素晴らしいだとか、いまひとつだとか、いろいろ書かれてる割に、魚をどうやって扱い、いたわり、寝かせて味を引き出したか。

 それに、ネタの切り身、切り分け、その大きさ、厚みについて、それがネタの旨さ、寿司の旨さを生み出す要因なんですけど、そんなことについて、触れた、言及した人、書き物って、滅多に見かけない。
 あれって、どうしてなんでしょうか。

 「しま」は、頬張ったとたんに、濃密な味、風味がじゅわじゅわと広がりました。
 脂の甘味、旨味が、きめ細やかな織物のように、複雑に、緻密に入り組んでいて、スクラム組んで、その存在を主張。
 万華鏡でのぞいたら、きら星のように輝く脂、旨味のはじける様が見えるような感じ。
 
 「う~ん、次、どうしようかな。ねえ、まだ「さより」があるわけ?」
 「え、まあ、最後だと思いますけど。これならって、私が選びましたんで」
 をいをい、言うかよそこまで!
 「あそ、なら、行ってみる」

 その「さより」、ねっとり濃厚。それも、年増女のように腰周りがしっかり。
 そうです、ペンギン体系のあの腰周り。
 といって、妖しい白粉の色香はなし。

 春になって遠慮しながら居座る「さより」のけなげさに、思わず笑みがこぼれました。

ヘイフンテラスの謎と不思議の19

 「ザ・ペニンシュラ 東京」の「ヘイフンテラス」。
 香港からふたりの料理人と点心師、計3人を招聘し、ザ・ペニシュラの「嘉麟樓」の姉妹店として、香港の広東料理を提供、というのが看板です。

 ネットで検索したとあるホテル予約のサイトでの紹介によれば、「ザ・ペニンシュラ香港の広東料理レストラン「スプリングムーン(嘉麟樓)」の姉妹店として「本格的な広東料理」とサービスを提供いたします」、とまあ「ヘイフンテラス」については、どこのサイトでも同じような紹介が。

  ところが、さらに突っ込んで「日本人向けに味を特別にアレンジするのではなく、食材そのものの味を最高に生かした状態でお出しする香港スタイルを貫きながら、日本の四季折々の食材を取り入れた「ヘイフンテラス」ならではの味にこだわりを持っています」、と触れられているのが興味深い。
 しかも、「フードアイテムの切り替えを頻繁に行うことによって、多彩な本場の味をお客様に幅広くご紹介してまいります」なんて紹介されてます。

 その紹介、日本人向けのアレンジなし。食材そのもの味を生かした状態でおだしする香港スタイルを貫く、なんてところに目が止まります。とはいえ、その次には「日本の四季折々の食材を取り入れた「ヘイフンテラス」ならではの味にこだわりを持ってます」とある。
 それって、香港そのままの素材の確保、入手が難しい、という現状を把握しての予防線?
 かと思いきや「多彩な本場の味を幅広く紹介」と、「本場の味」を再度、強調。

 ついでに、つい最近入手した「新版 中華料理店」(旭屋書店)の「第4集」。
 「進化する繁盛中華料理店」の特集に「ヘイフンテラス」の紹介が掲載されてます。
 それには「エグゼクティヴ・シェフ」の鄧志強さんのコメントがあって、全メニューのうち「スプリングムーン」の味を再現した料理が80%。残り20%は創作を織り交ぜた「ヘイフンテラス」だけのオリジナル料理を提供、とのこと。

 取材を担当した同誌の編集担当、もしくはフードライター氏、もちろん「嘉麟樓」にも出かけてその味を体験しての上の紹介、なんでしょうね。
  まさか、店の、料理長の言い分、そのまま紹介……。というのが実情なんでしょうが、確証はなし!

 実際に「ヘイフンテラス」で食事した体験からすれば、姉妹店の「嘉麟樓」はもとより、香港の味をそのまま再現、と言うことに関しては、大いに疑問。
 なんてことからすると、我らが注文したメニューの数々、もしかして、81%目からのものだった?
 そんなことはないでしょう。
 メニューの中から選んだもので、わざわざ特別に頼んだ料理でもありませんから。

 穏やかで、優しく、気品のある味、それに(大雑把ながらも)洗練されたプレゼンテンショーン、と言う辺り、確かに日本のホテルの中国料理店に比べれば「ヘイフンテラス」ならでのは特徴、個性、持ち味が汲み取れます。

 が、肝心の料理、香港の味、というには隔たりがあるのは事実です。
 料理としての香りが乏しく、欠けているってことが最大の致命傷。
 炒めものなどの「鑊氣」の無さなど、その最たるものだと思います。

 これまでにも触れてきたように、香港の味に近い店、ということなら、一応納得。
 しかし、「嘉麟樓」の味、「香港の味」ということに関しては、「ヘイフンテラス」、また総料理長の認識と、私のそれとの間には遠くて深い隔たりがあるようで。

 なんて言えば、耳元に響きます
「お客様の方が、よくご存知じゃないか、なあ~」
といいながら、明らかに「お客様がご存知ないだけのこと!」
という含みある黒服の女史のあの言葉が!

 メニューを決めるにあたっての黒服の女史とのやり取りの様は、今でも鮮やか甦ります。
 料理名、調理、味付けのやり取りは、すべて広東語。
 かといって、こちらの思い浮かべる物と、黒服の女史の思い浮かべるものが、すべて一致していた、とは言い難い。

 彼女は彼女の経験、体験を踏まえて、当方の要求に応えた、ってことだったのでしょう。
 当方が提案した料理について、確たる回答はなし、なんて場面が何回かあったことからすれば、やはり彼女の知る広東料理は、彼女の知る範囲だけのものだった、ってことでしょう・
 そして、私には私の知る香港の広東料理の世界が存在した。
 そして、私、香港の広東料理のすべてを知っているとは思ってません。
 いや、年をとればとるほど、世の中んは私の知らないことだらけ
 なんてことをつくづく思います。

 ということじゃ、黒服の女史、知らないなら知らないで、正直に教えてくれた方が有難かった。
 しかし、ま、彼女にもプライドってものがあるでしょう。
 なんせ背筋を伸ばした「ヘイフンテラス」の黒服の女史です。

 それよりも、実はサービスとキッチンの間にこそ、私と「ヘイフンテラス」、それに、総料理長の認識との間と同じくらい、遠くて深い隔たりがあるんじゃないかという疑問が頭をもたげはじめます。
 蝦の在庫の確認を、白服のパシリ君に、なんて、以前にもお話したとおり、香港のトップクラスのホテルの中国料理店や高級料理店の黒服氏には、ほとんどありえない。

 高級料理店でなくとも、日本人とみればエビエビカニカニの大攻勢。しかも、かつての鯉魚門や香港仔のいかがわし海鮮料理店などとは違って、これが「蝦」、これが「魚」と、しっかり料理する前に見せてくれますから。

 「ヘインフンテラス」だからこそ、そんな手間、必要なしだと思いましたが、やっぱり、きっちり、やるべきだったんだと、今になって反省。
 活きのものだったのか、冷凍戻しだったかのか、今だに判明できないあのでっかい「中蝦」の真実も、把握できたはず。
 現物をみれば、調理方法、味付けも変えられたはず。

 それに、腹を割いて蒸した魚の料理、黒服の女史の最初の言い分。
 最初は「一本釣りで(魚釣りの)針があるといけませんので」。
 それが「香港ではよくあることですので、お客様が~」なんて
 どっちがほんと?

 あらさがし、揚げ足取りなんかじゃなくて、「ヘイフンテラス」が「嘉麟樓」の味、香港の味を再現してるかどうか、ってことだけに執着せず、料理そのものの出来栄えがどうだったか、ってことになると
「う~ん、香港に近い味、ってことではOKなんだけど、なんだかな~」、 というのが正直な話。

 それより、「ヘイフンテラス」のキッチンは、総指揮こそ香港からやってきた料理人。
 ですが、実際の料理を担うのは日本人の料理人。
 しかも、総指揮の料理人の指揮が隅々まで行き渡っているのかといえば、そうではない現実が存在すんじゃないでしょうか。私が出会った料理がそれを物語ってました。それより、これまでふれてきたように、日本の広東料理界の流派が入り乱れた上に、その縮図を見るような面白さもある。

 要は、日本の、というより、東京の、高級ホテルにおける広東料理を看板にする中国料理店と変わりない店、じゃないでしょうか?
 私にとっては、香港と日本の中国料理の差異、食文化比較を探求するには、格好で、面白く、興味深い店。 だからこそ、その謎と不思議を解明。

 とはいうものの……。

 その昔、知人の山本益博先生
「旨いものに出会ったら、旨い店を見つけたら、すぐに「ウラを返す」」
と、教えてくれたことがありました。
「エ?何それ?ウラを返すって?」
 何がなんだかワケがわからなくて意味を尋ねたら
「すぐさま、もっぺん出かけること」
って教えてくれました。

 そんなことを思い出しながら
 「「ウラを返す」っていうより、「テーブルをひっくり返す!」、
 って程でもないし、なあ~」 
 とまあ、なんだかんだで優柔不断のまんま、いつのまにか半年がたちました。

 そしたら
 「ね、もっぺん行きましょう「ヘンフンテラス」に!
 最近、予約、簡単にとれるようになったみたいなんで!」
 と、我が友人からのお誘いが!!

 で、画像は「あのう、お客様~」と料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですから~。
 香港、フォーシーズンズホテルの「龍景軒」の「鮑汁扣法國鵞肝」。
 かつての「麗晶軒」の料理長だった陳恩徳が、若いスタッフと一緒になって考案。
 80年代の「新派広東」をほうふつさせる一品ですが、鮮烈で斬新な印象には乏しく、いささかアナクロっぽい。 そのアナクロぽさが、現在の香港の最新の「新派広東」らしくもあります
 ともあれ、外国の素材を使いながら、「鮑汁」で味付け、というあたり中国料理、広東料理ならではの特徴、個性を発揮、というのが興味深い一品です。

2008/04/23

ヘンフンテラスの謎と不思議の18

 譚さんの話は、ヘイフテラスで焼き物を食べながら「あれ?これ、どこかで食べた味!」という記憶の回路が刺激され、「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べながら「もしかして「赤坂璃宮」出身の料理人?」という推測が、あながち間違いではなかったことを裏付けてくれるものでした。

 昨年の11月、私がヘイフンテラスを訪れた時の焼き物の担当が日本人の料理人、「赤坂璃宮」出身の料理人だったことは間違いのない事実のようです。
 それに「鹹魚鶏粒豆腐煲」を調理したのも、同じく「赤坂璃宮」の料理人らしい。
 らしいというのは、誰が調理したのか私にはわかりませんから。

 素材の下拵え、つまり「板」の按配、それに「鑊氣」がなくて「香」が乏しく、味付け本位な調理の仕上がりからすれば、日本人の料理人が調理したのは明らかです。
 もっとも、仕上がりの穏やかで優しい印象は「赤坂璃宮」のそれとはいささか異なります。

 それより、私にとって不可解なのは「豉椒蝦球」。
 その下拵え、調理は明らかに日本人の料理人によるもの。
 しかし「赤坂璃宮」で食べたことがある同種、同系統の料理の印象とは違ってました。

 優しくて穏やかな味付け、調理、という点では似通ってはいるものの、「赤坂璃宮」のそれは、ある種、力強さがあり、めりはりも利いている。
 それからすると「ヘイフンテラス」の「豉椒蝦球」は、より上品。ですけどなんだか味がぼやけているというか、とぼけているというか、つかみどころがなくて茫洋とした印象。

 素材のよさが感じられないし、持ち味を引き出したとは言い難い。
 まさか冷凍もの?
 もしくは、えびにしろ魚にしろ活きの状態が芳しくなくなったら、冷凍にして仕舞い込み、これといった客じゃなけりゃ、知らんふりして解凍して調理。
 なんてこと、「ヘイフンテラス」ですから、まさかそんなことはありえない、と私は信じたい。

 そして「清蒸紅斑」の蒸し加減の按配を見たのは、黒服の女史の証言からも明らかなように、日本人の料理人。
 しかし、それが「赤坂璃宮」出身の料理人によるものだと言い切れるだけの確たる証拠はありません。

 ともあれ、私がヘイフンテラスで食べた料理は日本人の料理人によるものだった、というのは間違いない。
 といって、そのことを糾弾したり、批判するつもりは、毛頭ありません。

 先にも触れた通り、ヘイフンテラスに電話して確認したところ、香港からやってきた料理人には、総料理長を含めてふたりの料理人と飲茶の点心担当の師傳の3人だけ。

 残るスタッフはすべて日本人の料理人。おそらく総料理長、自ら鍋を振るなんてことは滅多になくて、「ヘイフンテラス」の全てを管理というのがその役目。
 それって、別に珍しいことでもなんでもない。
 フレンチ、イタリアンの有名どころの店だって、よくあることです。

 それに、噂のシェフズ・ルーム!
 での豪華な宴席でもありませんし、もとより私共は、馴染み客などではありません。
 もしかして「ヘイフンテラス」にとっては、手堅く無難に提供の用意をした、コース料理にすればよかったのかも?
 しかし、そのコース、まったくもって魅力には欠けます。

 ま、香港のペンシュラ・ホテルの「嘉麟樓」の雰囲気が味わえるなら「素敵!」と、雰囲気重視の方には格好かもしれませんが、「ヘイフンテラス」の看板のはずの姉妹店の「嘉麟樓」、香港の味を楽しみたいと思う向きには、首を傾げる料理内容、メニュー構成です。 

 もともとおまかせのコースが苦手、ということもありますけど、もちろんコースの内容を見ました。
 ですが、一瞥して無視、なんて按配でしたから、そのたたりなのかもしれません。
 それで、、アラカルト・メニューから家郷菜を何品かを注文。
 中には素材は時価という高価な「清蒸紅斑」もありましたけど。
 それにきっちり応えれくれれば、こんなに展開にはならなかったはず。

 これまで何度か触れてきたように、香港の広東料理店、いや、広東料理店だけに限らず中国料理において「鍋」と「板」のコンビは不可欠なものです。
 夫婦みたいなもんです。
 料理人が移動するとなると、表立って話題になるのは「鍋」が優れた料理人。ですが、「鍋」が得意でも「板」の存在あって、その本領を発揮。「鍋」にとって不可欠な「板」も一緒に移動というのはよくある話です。

 それからすると「ヘイフンテラス」の香港からやってきた料理人のふたり。
 どうやら「鍋」と「板」のコンビではない様子。
 それは、私が食べた料理の「板」の仕事からも明らかです。

 「板」を仕切っているのは明らかに日本人の料理人。
 というのは私の勝手な推測、憶測ですが、多分、間違いのない事実でしょう。
 「豉椒蝦球」と「鹹魚鶏粒豆腐煲」の下拵えが、それを如実に物語ってます。

 香港の一応の料理店のキッチンなら、「板」から「鍋」に手渡す役目をになう「打荷」が、それを見て「板」に返すはず。
 
 そうか、「ヘイフンテラス」には「打荷」もいないのかも。
 その役割を担っているのは、香港の広東料理の手法や技術を香港の料理人から学んできた、日本のホテル系列の料理人、なのかもですね。

 生まれ、育ちは、隠せないもので、ホテルの料理店で修行した料理人の仕事ぶりにはそれなりの特徴がある。有名、無名を問わず、街中の料理店で修行を積んだ人とはその仕事ぶりが違いますから。
 もっとも、それは慨しての話、ってことになりますが。
 
 たとえば、下拵え、調理はきっちりとしていて、仕上がった料理には気品、品格がある。
 盛り付けにも工夫が凝らされていて、独特の美意識が貫かれている。
 優しくて、穏やかな味付け、というのも特徴だったりします。
 しかも、堅実で、アベレージも高い。

 それだけに、裏を返せば無難で、破綻がない、ってことになる。
 見映え、盛り付けの美しさとは裏腹に、これぞ!といった強烈なインパクト、奔放な個性には乏しい。

 実はそれって、ホテルにある中国料理店、東京だけじゃなくって香港の一流どころのホテルにある中国料理店の料理の数々にもあてはまこと。確実で無難。ですけど、刺激がない。

 そういえば、黒服の女史の話で、面白いことがありました。

 テーブルを共にした友人と私の間のやりとり、前にも話た通り、基本は日本語。
 ですが、料理名は全て広東語。
 それに「あ、それはいらな~い」というところも、私、思わず広東語で。

 かぶれもいいとこです!
 ところが黒服の女史、すかさず、それに応えて広東語で!
 って事態になると、私はドギマギ!

 「広東語、お得意なんですね!」と我が友人。
 黒服の女史、ただ微笑むだけで、なんも応えず。
 その微笑がかわゆい!

 「もしかして、香港にいらしたことあるんじゃないの?」と私。
 それでも黒服の女史、ただ微笑むだけ。なんも応えず。
 黒服の女史が口にする広東語、訛りがあって音声が不明確。
 かといって「なんちゃって」ではなく、修練と努力の跡はあり。
 多分、職場で鍛えられたのか、ちゃきちゃきの勢いがある。

 「ここに来る前、どっかの店にいらしたの?」と我が友人。
 その質問に、黒服の女史、一瞬ドギマギ!
 それまでのきっぱりとした表情とは裏腹に、ぽっと顔を赤らめ、恥じらいの表情。
 それがなんともいじらしかった!

 「どこにいらしたの?」 と、すかさず尋ねる我が友人。
 もじもじとした仕草のあとで
 「ええ、あのう~」とためらいながら、つぶやくようにぼそっと某店のイニシャルを。

 なんとも、いじらしい黒服の女史、でした。

 で、画像です。「あのう、お客様~」と、料理撮影禁止の「ヘイフンテラス」ですから。
 で、見つけ出したのが「王子飯店」の「魚湯千層浸時菜」。
 川魚を煮出したスープで、板湯葉と季節野菜を具にしたもの。
 こういう料理、日本ではおめにかかれません。

2008/04/15

ヘイフンテラスの謎と不思議の17

 我がPCのシンク君、ここんとこずっとご機嫌斜め。
 そればかりがついには職場放棄。
 そんなことから書き込み更新お手上げ状態。
 もしかして、黒服の女史の‥‥‥ 
 ともあれ、復活、お待たせいたしました!

 さて、「つい先日、「赤坂璃宮」にでかけましたよ」
 ヘイフンテラスに誘ってくれた友人からそんな話を聞かされたのは、今年に入ってからことでした。
 「食べました「鹹魚鶏粒豆腐煲」!そしたら「ヘイフンテラス」のと同じだった!」。

 その話を聞いて「成る程、そういうことか!」と思わず納得。
 それからひとしきり「ヘイフンテラス」での話しで盛り上がったことは言うまでもありません。
 食べた料理、その傾向や特色。そしてもちろん、黒服の女史の話もです。

 友人も「ヘイフンテラス」の「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べて「あれ?」と思い、なんだか心にわだかまり。
 思いついたのが「赤坂璃宮」で食べたそれ。
 ということで、たまたま出かけた際、注文してみたら、わだかまり氷解、ってことでした。

 それより、魚の腹を開いて蒸した「清蒸紅斑」、その蒸し方、料理、味付けもさることながら、黒服の女史の「(釣り)針があるといけませんので」という話の一件が、友人も私もいたくお気に入り。
 それを思い出しては、二人して大笑い。
 箸袋にそんなことが明記された「野田岩」に倣って「ヘイフンテラス」もそうすれば!
 なんて思ったりして。

 そして、先月の10日、とある用事で赤坂のホテルに出かけた帰り 「そうだ「赤坂璃宮」がBIZタワーに移転したはず」、と思い出して覗いて見ました。
 そしたら、なんと玄関に譚さんとPR担当の佐野さんが。
 これはいい機会とばかり、ご挨拶。久々にお目にかかったこともあって、新しい店のことなど伺いました。

 「それで、譚さん、伺いたいことがあるんですが。譚さんのところに香港から呼んだ焼き物の職人の方、いらっしゃいますよね」
 そしたら佐野さん、いきなり
 「ええ、今、奥にいますけど。呼んで来ましょうか」
 なんて言われて、ちょっとドギマギ!

 「いえいえ。まだいっらしゃるんですよね。
 いや、実は「ヘイフンテラス」に行った時の話ですが、焼き物を食べたところ、その味付けとか、焼き方とか「あれ?」って思って。それが「赤坂璃宮」のに似てたんで、なんでだろうと、ね」と、私。

 「え!? 色んなところに食べにいってんだ!」と譚さん。
 「でも、よくわかったね。あのさ、ウチにいたやつ、梁さんの下にいたやつなんだけど「ヘイフンテラス」に行ったんだよ!」、と。

 「え!? そうなんですか!」と私。
 やっぱりそうか、そのなのだ。
 これはしたり! と思ったことは言うまでもありません。

 「それから「鹹魚鶏粒豆腐煲」を食べたんだけど、一緒にいた私の友人、譚さんの店にもよく通ってんですが、同じだったって。私もそうかな、って思ってたんだけど‥‥」。
 「え!? そんなことまで、わかるの? いや、ウチにいた鍋のひとりが「ヘイフンテラス」に行っててさ、やってるんだよ」と譚さん。
 それから譚さんのところから「ヘイフンテラス」に移った料理人の話でひとしきり。

 「で、あのう、あそこって譚さんのところ以外からも(料理人が)行ってません?
 なんだか「聘珍樓」みたいなところもあるし。それに、譚さんが昔いらした「南園」の出身というか、「南園」系列の料理人もいるんじゃないかな、って思うところがあったから」と、私。

 「え!? そんなことまで、わかるの?そうか、わかるかもな。
 いや、そうなんだけど……「南園」出た料理人もいてね」、と譚さん。
 「もしかして、○○に行った‥‥」と、私。
 「え!? ○○だったらXXさん?」とすかさず佐野さんが話に加わる。
 「いや、そうじゃなくって……」と、佐野さんの話を遮る譚さん。

 なんだか私、東京の中国料理界のG-Menの気分! 
 いえいえ、決してそんなことありません。
 譚さんの話から「ヘイフンテラス」のキッチンには「赤坂離宮」、それに「南園」出身の料理人が、という確証をゲット。それ以外にもホテル系料理店出身の料理人が、という感触を得た、という収穫がありました。

 そうです。話をまだまだひっぱります。
 というところで、画像。
 「あのう~お客様~」と、料理撮影は禁止ですから。
 で、前回に続いて龍景軒の料理から、つばめの巣、たいらぎの蟹みそあえ。
 つばめの巣とたいらぎの異なるぷりぷり感の歯触り、噛み応え。
 とろみの餡とぷちんと噛み締めれば弾ける蟹みその濃密な味、風味に、うっとりとなります。

 こんな料理が「ヘイフンテラス」にあれば、なあ~って、ね!

2008/04/02

ヘイフンテラスの謎と不思議の16

 「話を引っ張るな!」、「黒服の女史はどうした?」 
 と、黒服の女史の復活、リクエストが相次いでいますが、今回も話の成り行きでちょい待ちです。

 さて、周さんが「璃宮」、譚さんが「廣州」で、それぞれ香港スタイルを取り入れていた前後、東京のホテルで広東料理を看板にする中国料理店も香港的な色彩を濃くしていました。
 それが顕著になりはじめたのは、80年代後半から90年代にかけて。ことに90年代に入って顕著になりました。

 いつだったか、ホテル・オークラの「桃花林」が、香港のマンダリン・ホテルの「文華」から料理人、サービスを呼んでフェアーを実施、なんてのもありました。
 そん時、驚いたのは、料理の値段の高さ。メニューに「例湯」がありました。値段は普通の店なら一品料理ほど。てっきり「窩」、つまりひと土鍋分ほどかと思ったところ、なんと小碗に一杯。1人用のものでした。
 それからもフェアーの他の料理の値段、推して知れるはず。収穫は、後に「文華」から「嘉麟樓」にヘッドハンティングされたマネージャーのリンゴ・魯、料理人の黎さん(という名前だったはず)に知り合えたこと。

  その黎さん、八王子の「海苑」の総料理長に招かれ、次いで、渋谷に出店した「海苑」の総料理長に。黎さんをおっかけて、両店にしばしばでかけたものです。
 八王子時代には、日本ではなかお目にかかれない「小菜」の類も提供。が、素材の調達に苦労してか「文華」時代ほどの力量は発揮できず。

 渋谷の店に移ってから、海鮮料理などは充実していたものの、季節素材を使った「小菜」などは、香港と同じ素材の確保が難しく、苦労していた様子。
 そうなんです。料理人がいくら名店の出身で、技量があったとしても、本領が発揮出来るのは、素材の調達や確保の決定権を握る経営者の度量があってこそ。そのうち、黎さん、帰国しちゃいました。

 もっとも、ホテル・オークラの「桃花林」の普段の料理、フェアーが終わったら、元通り。
 炒め物にしろ、煮込み物にしろ広東料理の老舗としての評価もなる程と思えるほどクラシック。
 というより、どの料理もたいてぶ厚いとろみがたっぷりで、旧態依然としたまま。日本に定着した広東料理のまさに王道といった印象でした。

 その「桃花林」と似たような傾向だと聞いていた全日空ホテルの「花梨」。
 実際に出かけてみると、風聞とは違いました。
 香港の郷土料理だけでなく、東南アジアの広東料理店でお目にかかるような、広東料理を下敷きに東南アジアの食材、風味を取り入れたフュージョン的な新趣向の料理にも出会いました。香港の郷土料理、味付け、調理など、香港の広東料理を反映したものでした。

 料理は上品で洗練されていて、穏やかで、優しい味付け。落ち着いた内装同様、香港の一流ホテルの中国料理店に通じるものがあったのが印象的。
 しかし、香港の料理店との関わり、香港の料理人にがやってきていたのかどうか、その詳細を知るには至りませんでした。
 そんなことを思い出し、今、書きながら、「ヘイフンテラス」の料理、「花梨」に通じるものもありかも、と思い当たったりして。

 香港では80年代はじめからホテルの中国料理店が一挙に開花。
 今はなきリージェント・ホテルの「麗晶軒」を筆頭に、ホンコン・ホテルに「麒麟金閣」、ペニンシュラ・ホテルに「嘉麟樓」、ハイヤット・リージェンシー・ホテルに「凱悦軒」、マンダリン・ホテルの「文華」も改装。グランド・ハイヤットに「港湾一号」、アイランド・シャングリラに「夏宮」、コンラッド・ホテルの「金葉庭」などが開店し、話題を呼んだことがあります。

 いずれも広東料理を看板にしながら、北京、四川など中国各地の地方料理も取り入れ、独自のアレンジが施してありました。ホテルの中国料理店ならではのもの。特徴のひとつに挙げられます。
 東京のホテルの中国料理店も、上海なり、広東なりをメインにしながら、地方色取り入れた内容構成。ですが、広東料理を看板にする店では、次第に香港色が濃くなっていきました。
 特に飲茶の点心が徐々に充実。それに比べて「小菜」などはその数も限られていました。

 もっとも、香港のホテルの中国料理店がそうなように、東京の一流どころ、また、外資系のホテルの中国料理店は、落ち着いた雰囲気、上品で優しく、時に洗練された料理を供するようになるなど、目覚しく変化していった時代。ホテル料理としての品格がありました。

 街中の料理店などでも香港から招聘された料理人が目立つようになりました。
 中でも興味を持ったのは、「Xing Fu」の総料理長の黎志健さん。
 最初は原宿、後、銀座に移転した薬膳料理の店の料理長ですが、香港出身で香港の料理店で修行してきたこともあって広東地方の郷土料理に精通。
 いかにも薬膳的な料理だけでなく、季節に応じて滋養供給や体調を整えるために作るスープをはじめ、広東人の日常の生活に根ざしたメニューがあり、また、その種の料理を頼めば、気取りのないお惣菜的な料理に出会えたものです。

 赤阪の「櫻花亭」も、黎さんの紹介で料理人を香港から招聘していたとおかみさんから聞いたことがあります。穏やかで優しい味付けが特徴で、香港的。香港体験のある人なら納得の味ですが、体験のない人にとってはいささか刺激がなさ過ぎたようで。
 やっぱり、中国料理、中華料理というのは、こってり、濃い味、のイメージが濃厚ですから。

 同時期、一般にはあまり知られていませんでしたが、香港の料理界の動向を察知し、人材を派遣していたのが大阪の辻調理師専門学校です。
 かつて松本秀夫先生が香港の「樂宮樓」で学んで以来、市川友茂、吉岡勝美先生が「敬賓酒家」に。
 同店は香港の食の歴史に残る名料理人で、「陸羽茶室」、ハッピーバレーの香港ジョッキー・クラブに迎えられて話題を呼び、後、独立した梁敬師傳が総料理長を務めていた名店です。

 その後、河合鉱三先生が「文華」、再び吉岡勝美先生がフラマー・ホテルの「富麗華」、堀内眞二先生が「麒麟閣」に、といった経緯があります。
 吉岡先生、河合先生は「どっちの料理ショー」などのTVの料理番組でおなじみのはず。ことに吉岡先生の「よくわかる中国料理基礎の基礎」は、必見の著作。

 そればかりか「文華」、「金葉庭」、「采蝶軒」を経て、香港ジョッキー・クラブの総料理長になった林勝倫さんや、周中さんを同校に招聘。
 といったように同校と香港の料理界との関わりは深い。
 その成果は、同校の授業で反映されるだけでなく、辻静雄校長が主宰する食事会で披露されていました。

 そして、周さんの跡を継いで謝華顕さんが総料理長になってからの「聘珍樓」が、俄然面白くなったのも印象的でした。
 謝さん、それ以前、80年に日比谷の「聘珍樓」の総料理長に就任。 もともとは広東省の江門の出身で、13歳から香港の海鮮料理店で修行し、22歳で翠園本店のチーフに抜擢。88年には香港に進出した「聘珍樓」の総監督に就任、といった経歴が聘珍樓のサイトに紹介されてます。

  謝華顕さんが総料理長を務めるようになって以来、「聘珍樓」は料理全体、香港色が濃くなり、「小菜」類も徐々に充実。それまで謝華顕の料理を目当てに日比谷の「聘珍樓」に出かけていたましたが、謝さんが総料理長になって以来、紀尾井タワーにあった頃の「聘珍樓」に足を向けたものです。渋谷の「聘珍樓」などでも、季節メニューが充実するようになりました。

 もっとも、謝さんが総料理長となって「聘珍樓」で目立って多くなった香港スタイルの料理、ことに「小菜」の類は、当時の香港の最新の食事情からすれば、いささかオールド・ファッション。言わば香港ローカル的なもので、田舎っぽく、泥臭いものもありました。もっとも、私にはそれが面白く、楽しみでした。

 その理由、謝さんはもともとは「翠園」に在籍、という経歴が物語っています。
 70年代には最新の流行だった「翠園」の料理も、80年代半ばには香港で広く一般化し、香港の中流階級の人々が客層の主流を占め、日常的な店として定着。「小菜」で一世を風靡した「翠亨邨」なども同様に、料理も目新しいものではなくなり、客層も変化していました。

 88年、「聘珍樓」は香港に進出。まだ周さんが総料理長を務めていた頃です。その際、香港店の総料理長を務めたのが謝さんだった、とは「聘珍樓」のサイトで知ったことです。そして、マネージャーは「麒麟金閣」からヘッド・ハンティング。ということからも、実に意欲的だったことがわかります。

 当時、香港では高級ホテルの中国料理店の内装、サービス、何よりも料理内容が洗練されていったと同時に、街中にも同様の姿勢、傾向の店が相次いで誕生。 そもそものきっかけは、かつて青山にあった「ダイニーズ・テーブル」をヒントに、西洋式のサービスと斬新な料理内容を打ち出した「麒麟閣」が発端で、以後、同種の店がいくつも開店しました。
 「聘珍樓」も、そうした最新のトレンドを反映した店として地元で話題になりました。

 私が興味を持ったのは、洒落た内装やサービスなどより、料理内容。
 「新派広東」の系列の中でも、ネオ・クラシック派に属する店、と思えたからです。
 大昔の拙著「香港的達人」でも紹介したように、広東地方の伝統的な郷土料理、広東省南部、珠江沿岸地域の料理を下敷きに、素材を改めて現代化し、プレゼンテーションも工夫した料理に出会えたのが面白く、興味深かった。
 ここ最近同様、あの時期もまた郷土料理の現代化、というのがトレンド、テーマとなり、ホテルの中国料理店以上に、街中の新しい店がその種の料理に積極的に取り組んでいたものです。

 そして、東京のペンシュラ・ホテルの「ヘイフンテラス」の総料理長に迎えられた鄧志強さん。
 「嘉麟樓」の前には、香港の「聘珍樓」に長く在籍。なんてことをネットで知りました。
 ですが、私、そんなことほとんど気に留めてもいませんでした。
 「ヘイフンテラス」で、実際に食事をするまでは!

 さて、画像。やっぱり「あのう、お客様~」と料理撮影禁止ですから。
 う~ん、どうしよう。
 で、探し出したのは、80年代、香港のホテルの中国料理店で花開いた「新派広東」、ネオ・クラシック派のスタイルを打ち出した「麗晶軒」のスタイルを踏襲し、それを再び甦らせ、同時に、より革新的かつ意欲的な傾向の強い料理を相次いで生んでいるフォーシーズンズ・ホテルの「龍景軒」の料理から。

 「雪花蟹肉魚翅羹」。「豆腐花」を下に敷き、蟹肉、さらにふかひれを載せて、葛引きの餡で仕上た羹です。 かつて「麗晶酒店」で張錦全さんのもと、「麗晶軒」の総料理長を務めていた陳恩徳さんが、スタッフととも考案したもの。
 「龍景軒」には他にも斬新な内容の料理が各種あります。