マカオと香港。フェリーで1時間ほどの距離だ。が、遠い隔たりがある。マカオを訪れる度に、そんなことを思う。
ことに食に関して、同じ広東の食文化圏にあり、大半の住民は広東人であり、広東料理を下敷きにしていながら、味、風味は異なる。
そして、香港にマカオからの影響はないのか。一時、ポルトガル風タルト/葡式蛋撻が日本にも紹介され、少なからずブームを呼んだことがあった。香港から日本に紹介されたものだが、もともとはマカオから伝来したもの、ということだったから、やはりマカオと香港には何らかの関係、結びつきがあるのかと関心を持ち、その関係を知りたいと思ったこともある。
それ以前、80年代から90年代代にかけて、香港の料理店のメニューに「葡式」、あるいは「葡汁」といった表記をみつけたことだあった。浅はかにも、当時、それをポルトガル式、あるいはポルトガル風味、と理解していた。しかも、マカオから伝来した料理方法を取り入れたものだと理解、解釈していた。
たとえば「醸焗鮮响螺」。小ぶりのほら貝の身のぶつ切り、蝦のすり身、豚肉のひき肉などを「葡汁」で混ぜ合わせオーブンで焼いた料理である。
その「葡汁」だが、クリーム状のホワイト・ソース風のものだ。むろん、香港で中式西食を看板にする中国式洋食店の「餐庁」にあるような小麦粉をふんだんにつかった粉っぽい「白汁」とは違って、ダシもしっかりしたもので、オーブンで焼かれ、焼色もついている。いわば、海鮮のグラタン、ほら貝詰めのオーブン焼、とでもいえるものだ。
80年代半ば、香港で最新の料理とサーヴィスを看板し、話題を呼んでいた「麒麟閣」、同店をさらにグレードアップした「麒麟新閣」の看板料理のひとつにもなっていたし、「麗晶軒」など、トップクラスのホテルの中国料理店のメニューにもあった。そのバリエーションが「葡汁海鮮飯」。簡単に言ってしまえば、海鮮のグラタン、ドリアといった趣のもので、これもオーブンで焼かれ、焼色がついている。
似た様な料理に「醸焗鮮蟹蓋」がある。もっとも、それは「福臨門」など、伝統的な料理を看板にする店にあったものだ。蟹の甲羅にクリーム・ソースであえた蟹肉入りなどの具を詰めてオーブンで焼いたものだ。ただし、表面にはパン粉などをまぶしてやきつけてあるから、表面はコロッケなど揚げ物風の趣。が、味のベースは「葡汁」で、それを変化させたものだ。
ともあれ、「醸焗鮮响螺」にしろ「葡汁海鮮飯」にしろ「醸焗鮮蟹蓋」にしろ、明らかに西洋料理から影響大であり、それなしに生まれなかったのでは?と察せられる料理である。しかもそれらは「葡式」とされ、「葡汁」が味の要となっている。
そして、「葡式」、「葡汁」が、単にポルトガル式、あるいはポルトガル風味のソースを意味するものではないことを後に知った。
その昔、中国人が接した西洋人はポルトガル人であり、以後、西洋人はその出自がポルトガルであるかどうかは無関係に「葡国人」と称されることになった。極端な話「西洋人」とほぼ同義語だともいえるようだ。それは香港にかぎらず、中国本土でも同様であり、そうした記述を見かけることは少なくない。
さて、マカオでの取材を終えて、我々一行は、香港へと向かった。到着早々から、取材、撮影に追われた。そして、その夜、湾仔の「生記飯店」に行った。
画像は「生記飯店」の看板メニューのひとつ「鹽焗鶏」である。