2007/01/03

蟹黄魚翅撈飯(18)

 日本では「ふかひれの姿煮込み」といえば、たいていの場合「しょう油煮込み」を意味する。
 「ふかひれの姿煮のしょう油あんかけ」、もしくは「ふかひれの姿煮のしょう油味あんかけ」としている店もある。

 むろん、それ以外のものもある。東京の北京料理店の中には「奶湯」と呼ばれる白濁したスープを張った「砂鍋魚翅」を出している店がある。福臨門だけでなく澄まし仕立ての「清湯魚翅」を出している店もある。

 中国料理についてあれこれ疑問が思い浮かぶたび、ひもとくことが多いのが中山時子監修による「中国食文化事典」(角川書店)だ。昭和63年(1988年)に発刊されたもので、その内容は充実し、学ぶことも多い。なによりも便利この上ない辞典である。

 同書での「魚翅」の項目によれば、中国でふかひれを食べるようになった歴史は新しく「明代中期以後、料理法はわからないが、珍味として食されていたようである」とし、「清代入ってから普及し、道光年間(1821~1850)閩粤(現在の福建、広東省)から宮中に貢物として献上されてからおおいにもてはやされるようになったという」とある。

 ふかひれ料理の歴史が語られる時、引用されることが多いのが、清代初期、かの袁枚が『隋園食単』で記した2種のふかひれの料理だ。
 今手元にあるのは青木正児訳注による『隋園食単』(岩波文庫、80年)だが、それによれば「その一は好いハムと好い鶏との汁を用い、生の筍と氷砂糖一匁ばかりを加え、とろとろになるまで煮る」、
 「いま一つは鶏の汁ばかりを用い、細かく千切りした大根と細かく坼(さ)き砕いた魚翅と一緒に入れて、その中で混ぜ合せ、碗の表面に漂い浮かんで、どれが大根か、どれが魚翅か、食べる人には見分けがつかぬようにする」とある。
 さらに「ハムを用いる方は汁が少ないがよろしく、大根を用いる方は汁が多いがよろしく、すべてとろりと溶けて、柔らかく滑らかなのが佳い」、と。

 料理法が簡単に記されているだけで調味料の類の記述はないから、はたしてどのような味なのか厳密にはわからない。
 それでも「その一」の、ハム(火腿)と鶏のダシで煮込む、また「ハムを用いる方は汁が少ないがよろし」ということからすると、現在の姿煮に近いいものかもしれない。しょう油などの調味料を使用しないとなると「清湯魚翅」の原型と言うことになるが、おそらく、とろみがついていたのに違いない。そして、後者はふかひれスープの原型、ということになるだろうか。

 先の「中国食文化事典」の「魚翅」の項目の最後に中国各地のふかひれ料理の主要な名菜と、それがどの地方の料理なのかが紹介されている。

白扒排翅…鱶ひれのスープ蒸しとろみ煮。山東料理
扒海羊…鱶ひれと羊の内臓の五目煮。北京料理
濃燉鶏鮑翅…鱶ひれとひな鳥の姿蒸し煮。広東料理
蟹黄魚翅…鱶ひれと蟹の卵入りとろみ煮。広東料理
黄燜魚翅…鱶ひれの黄金煮。北京料理
白扒魚翅…鱶ひれの塩味煮込み。山東料理
高湯魚翅…鱶ひれのスープ。福建料理
砂鍋魚翅…鱶ひれの土鍋煮。北京料理
奶湯魚翅 鱶ひれの濁りスープ。山東料理
紅焼大明翅…鱶ひれの丸煮。広東料理
白汁老黄扒翅…鱶ひれの丸煮。上海料理
龍爪魚翅…鱶ひれ蒸しのわらび炒め敷き。広東料理
紅焼大群翅…大型の鱶ひれの丸煮込み。醤油あんかけ。広東料理
蟹黄生翅…鱶の丸びれの蟹の卵いりくずびき。広東料理
碗仔紅焼鮑翅…鰭の丸びれの醤油煮込み、めいめい盛り。広東料理
乾焼魚翅…鱶の丸びれのふくめ煮。四川料理
海紅魚翅…蟹の卵と紅油入り鱶のひれ。北京料理

(以上、無断引用のため削除の憂き目にあうかも!)

 紹介されている料理を見て気づくのは、広東料理、それに、北京料理とその源流のひとつである山東料理にふかひれの名菜が多いことだ。 もっとも、広東料理の名菜として紹介されているものの実質的な内容が似通ったものもある。紹介されている料理で、実際に私が食べたことがあるのは半分しかない。

 他に、先にも紹介してきた杭州料理の名菜で、後に上海料理にも組み込まれるようになったふかひれと火腿(中国ハム)を煮込んだ「火瞳魚翅」がある。そればかりか、上海料理にも、しょう油味で、香油で仕上げた独特の「紅焼魚翅」がある。

 四川にも「紅焼魚翅」の四川式のものがある。銀座にある「趙楊」で食べたことがあったのを思い出した。また、四川には鶏肉に豚骨や豚の脂をとろ火で煮込んで作る「白湯」を使ったふかひれ料理があるそうだが、私は食べたことがない。

 広東料理に組み込まれるが、潮州のふかひれ料理にも「紅焼」、「清湯」など、ふかひれの料理はいくつもあって、中には潮州名菜とされるもののある。
 土鍋煮込みの「魚翅煲」なども潮州独特のふかひれ料理だ。もともとは潮州系の中国人が多いタイで生まれ、それが潮州に逆輸入され、香港に紹介されていったのだ、という話を聞いたことがある。

 そして、忘れてはならないのが、広東料理、それも第二次世界大戦後、さらには、70年代に入って香港でもてはやされるようになった「清湯」系のふかひれ料理である