それにしても日本でふかひれのしょうゆ煮込みが食べられるようになったのは、いつ頃のことだったのか。また、いったい誰がそれを日本にもたらしたのか。初めてそれを紹介したのはどんな店だったのか。興味はつきない。
たとえば谷崎潤一郎の「美食倶楽部」に登場するふかひれの料理は「鶏粥魚翅」。
広東料理にすり身にした鶏肉とふかひれを具にし、たっぷりととろみをつけたスープ仕立ての「鶏蓉魚翅」という料理がある。
粥仕立てということでは、鶏肉よりも「鷓鴣」を微塵切りにし、燕の巣、山芋ととも煮込み、とろみをつけた「燕窩鷓鴣粥」がある。
広東地方の郷土料理の名菜のひとつで、香港の「陸羽茶室」の定番メニューのひとつになっている。
ともあれ「鶏粥魚翅」はふかひれの姿煮ではなく、ほぐしたふかひれを使ったスープ仕立て、というよりも羹仕立ての料理のはずだ。
それから19年後に世に出た「竹田胤久編著による「隋園食單新釋補填~支那料理基本知識」では、袁枚のふかひれ料理2種の訳の後で、「紅焼魚翅」が「鱶の鰭の醤油煮」として、追記のような形で紹介され、その作り方も紹介されている。
はたしてそこでの「紅焼魚翅」のふかひれが、「鮑翅」、もしくは「排翅」など、ふかひれの形状の残したものだったのか。
それともふかひれをほぐした「生翅」もしくは「散翅」だったのか。
そこであわせて紹介されている「肉絲魚翅」、「鶏汁魚翅」は、間違いなくスープ仕立て、それも羹仕立てのようだ。
そして、興味深いのは巻末の「現代の料理名と解説」である。
まずは 「貴重料理」として(鹿鳴春飯店菜譜)として、燕の巣、ふかひれの料理が紹介されている。
次いで、並線で区分けされ、、鶏、牛豚羊肉料理、魚介類料理、卵料理、野菜類料理、點心類料理などが紹介されている。
後書きなどから察するところ、並線以後の料理は、上海広文書局出版の「食譜大全」をもとにしたものらしい。
そのうち鶏肉の料理には「風雞」や「酔雞」など、後に上海料理に取り込まれた周辺の料理が随所に見られる。肉類の料理も同様だ。
ともあれ、上海料理がどのように形成されていったかを知る手がかりになる。
そして、「貴重料理」だが、まずは燕の巣の料理の数々が紹介されている。
ついでふかひれの料理が並んでいるのだが、そこには「紅焼魚翅」は見当たらない。
ちなみに、紹介されているふかひれの料理とその解説は以下の通りだ。
一品魚翅/鱶の翅に筍茸ハム油菜など配したもの代表的料理のひとつである
清湯魚翅/鱶の翅にハム筍茸油菜など配したる汁物
三鮮魚翅/鱶の翅に雞肉筍茸海参などを加えたるもの
三絲魚翅/鱶の翅に雞肉筍ハム油菜などを絲のように切ったもの
桂花魚翅/鱶の翅に玉子の黄味を加え少量のハムを加える
雞絨魚翅/鱶の翅に叩きたる雞玉子を加え少量のハムを配したもの
佛手魚翅/鱶の翅に雞肉の擂味を配して佛の手の形につくりたる汁物
その解説からすると、実際に食べたことがあるもの、料理名からその実態を試みて解説したもの、というのが分かるのがおもしろい。
が、ここにもふかひれの姿煮のしょう油煮込みはみあたらない。
ただ、料理内容からするとふかひれの形を残した「鮑翅」もしくは「排翅」を使った料理が含まれているようだ。