暮れの大晦日に蕎麦を食べ、正月を迎えて雑煮とおせちを食べた。
昨年の二月に母親が亡くなり、喪中ということもあって新年のご挨拶は遠慮したが、やはり年越しの蕎麦は欠かせず、元旦には雑煮を食べた。おせちはいつもより数を少なくした。
私が年越しの蕎麦を食べるようになったは東京にきてから、それもここ15年ほどのことだ。80年から90年代半ばまでレコード大賞の審査員を務めていたから、大晦日はそれに借り出され蕎麦を食べる機会はなかった。子供の頃は神戸で、それまた、蕎麦には日頃から縁がなかった。
その後、近所の知人宅の年越しの儀式に参加する機会を得て、それがずっと続いている。新年を迎える0時前に蕎麦を食べ始め、年を越えて食べ終わり、新年の挨拶をする。しかも、蕎麦を食べている間、無言のままで通し、誰とも会話を交わさない、というのが知人宅の年越し蕎麦の流儀である。
雑煮は、元旦は澄まし仕立て。昆布と鰹節でとったダシに、具にする鶏肉をさっと酒で煮た後の煮汁も加える。鶏肉以外には、京人参、大根と小松菜かほうれん草。
2日目は白味噌したてである。昆布と鰹節でとったダシ、それも鰹節の味を濃い目にしたダシだ。
白味噌は堀河屋野村のもの。具は京人参、大根、里芋、三つ葉。
餅は丸餅で、元旦の澄まし仕立ての時には別鍋で煮た煮餅。二日目の白味噌仕立ての時は焼餅。
餅は埼玉の東松山で農業を営む加藤紀行さんが特別にこさえてくれたもの。
加藤さんちはのし餅だそうだが、わざわざ丸餅にしてくれたもの。
市販の機械打ちの餅とは違って杵打ちだけに、ぎしぎしと噛み応えのある素朴で実直な味わいのある餅である。
中国のお正月は、よく知られているように「春節」がそれにあたる。農歴、日本でいう旧暦の1月1日で、今年は2月18日がその日にあたる。中国の年越しの儀式は、地方によって、さらには、家庭ごとにことなるようだが、一般に、粉食が中心の北方では「餃子」をふんだんに作って家族が一緒にそれを食べる。米食が中心の長江沿岸の中部地域や南方などでは「年糕」や「糯米糕」を作って食べる。前者は粳米、後者は糯米を粉にし、蒸して作る中国式の餅である。
香港では、豪華なご馳走を用意して一年を締めくくる、という話を香港の知人、友人から聞かされてきた。「団年飯」がそれである。
「除夜」、まさに大晦日に家族、親族が集まってごちそうを並べ、宴席を持つ。お金持ちの一家などでは「一品煲」を食べると聞いた。干鮑(干し鮑)、海参(なまこ)、花膠(魚の浮き袋)などの乾燥海鮮素材を煮合わせ、土鍋で供する豪華な料理である。
一品煲については、各地にいろいろあって、しかも、いわくいわれもある。いずれ触れるつもりだ。
広東系の人々では「紅焼元蹄」を主菜にすることが多いようだ。豚の皮付きの腿肉の固まりを丸ごと醤油で煮込んだ料理である。現在は元凱悦軒の料理長で私家房の「周家」を営む周中もそうだという。
鵞鳥のローストの「焼鵞」で知られる「鏞記」の経営者のひとりである甘健成が、新聞に連載していた記事をまとめて出版した「鏞樓甘饌録」(経済日報新聞)にも、そんなエピソードが出てくる。