「白灼中蝦」の「えび」、「豉汁炒帶子」の「たいらぎの貝柱」などの素材の良さ、調理の素晴らしさ。さらには「脆皮鶏」の旨さや鶏肉の味わい。そして、初めての福臨門での一番の驚きは「紅焼生翅」、ふかひれの醤油煮込みとの出会いだった。
まずふかひれの形状そのものに驚いた。
ふかひれといえば姿煮である。それまで私が知っていたのは、ふかひれの形をそのまま残し、調理した姿煮だ。しかし、福臨門の「紅焼生翅」は、ふかひれの姿を残してはいなかった。ふかひれの一本一本の繊維がばらばらの状態にほぐされていた。後に、ふかひれの繊維のことを翅針/翅絲と称すると知る。
ふかひれの一本一本の翅針は、太く、長かった。太くて長い翅針が皿の中で波打っていたのである。
それらを箸先ででレンゲに集め、掬い取り、口に運んだ。
唇や舌に触れる触感はつるんとしていて滑らかだ。噛み締めれば、ぷちんと弾ける噛み応えがある。それでいて、歯触りは、優しく、軟らかい。確かにふかひれの翅針を味わっているのだ、という実感を覚えた。
それまで日本で食べてきたふかひれの姿煮とは、まったく異なるものだった。
扇状のふかひれを箸先でさばき、細いフカヒレの翅針のかたまりを口に運ぶ。唇や舌触りは翅針が細く、たばねたような状態だから、ざらっとしている。それをざくっと噛み締める。とろみのついたダシがほとばしる。味が濃い。そんな味の濃さもふかひれの姿煮の特徴だった。
福臨門の「紅焼生翅」は、そんな日本のしょうゆ煮込みのふかひれの姿煮とはまったく異なるものだった。
ふかひれとともに味わうとろみのついたしょうゆ味のスープが旨い。とろみ、とはいっても、うっすらとしたものだ。ダシの味、旨味が、はっきりとわかる。醤油の味、濃いとろみのついた日本のふかひれの姿煮のしょうゆ煮込み。味付け、とろみ付けまで、日本のそれとはまったく違った。しかも、その旨さ、風味はいきなりガツンとくるのではなく、じわじわと押し寄せ、皿半ばほどになって旨味、風味がピークに達する。
京都や大阪、関西の割烹料理の椀物にも通じる味わい、風味の豊かさに驚いた。洗練された気品のある、しかも毅然とした、味、風味があった。