「鏞記」には「焼鵞」にうってつけな「瀬粉」がある。円形の細長ビーフンだ。それに前述の通り「雲呑麵」も素晴らしい。美味である。麵の旨さ、具のよさ、按配だけでなく、スープ、だしが良い。
「瀬粉」、「雲呑麵」など「鏞記」の麵料理、それもスープ類の麵料理に使われているだしは共通のものだが、独自の工夫がある。「鏞記」のだし、さらには料理については、改めて触れるつもりだ。
そして、「陸羽茶室」。下に紹介した「粉麵飯品」のメニューを見れば、種類、内容の豊富さが一目瞭然だ。
「陸羽」といえば飲茶の点心が素晴らしい。今だ頑なに伝統的な手法、味を守り続けている。ことに「蝦餃」「燒賣」、「叉焼包」などの基本的な点心が素晴らしい。最新流行の店の話題の点心などに比べれば、人によっては古臭く思えるかもしれない。しかし、たとえば「蝦餃」の蝦の擂り身の擂り潰しよう、豚肉とのバランスなど、見事である。
「陸羽」の夜の食事も、素晴らしい。ことに「鳳城風味」、太良/順徳の名菜に出会えるのが貴重である。
そして「陸羽」の麵。ガイドブックなどではあまり触れられてこなかったことだが、これが良い。知る人ぞ知る話だと言えるかもしてない。
「陸羽」の清々しい早朝の「早茶」、喧騒が天井にこだまする昼時の「午茶」。いずれも他の店とはいささかに趣が異なる。が、「陸羽」の良さ、その真髄を味わえるのは、人気もなく静寂に包まれた3時頃から5時頃にかけて。その味わい、風情、佇まいは格別だ。「陸羽」だけのもの、「陸羽」にしかないものである。
そんな時間を見計らい「陸羽」に出向くことがある。本格的な飲茶の流儀である「一盅両件」に倣って、お茶と二種の点心を味わう。
とはいえ、ざら半紙に赤字で印刷された「星期点心」、週代わりのメニューを眺めまわすうち、未知の点心を見つけ出すと、「両件」だけでは収まらず、点心の数がふえることになる、というのもままあることだ。
ともあれ、「一盅両件」にならって点心の数を控えめにした時など、「粉麵飯品」の菜単を頼み、麺類を注文する。いや、麺類、あるいは、飯類だけを食べたくて、遅い午後に「陸羽」に出向くことすらある。
ところで、香港の人たちの「飲茶」事情は、人によってそれぞれ異なる。
下町の大衆的な茶樓や飯店での「早茶」、つまりは朝の飲茶は、老人、ごく普通の勤め人、腹ごしらえが目当ての労働者などが中心である。昔ながらの点心で、鶏のぶつ切り肉に鹹蛋入りの「鶏球大包」などもあったりする他、各種の「飯品」が用意されている。茶碗よりも大きく、茶碗の1・5か2杯ほどのご飯が入りそうな鉢に様々な具が載ったもので、まさに丼である。
もっとも、「陸羽」で「早茶」を味わっている客の多くは、それこそ「一盅両件」の流儀そのまま、点心の数は少ない。お茶を味わう、といった趣だ。「陸羽」の顧客は中国人の上流、もしくは中上流階層がほとんどであり、その種の人々にとってのいわば社交クラブな店である。しっかり腹に収まる丼飯を朝食べてひと働き、といった労働者階層とは無縁の店である。
そんなこともあって「陸羽」で「粉麵飯品」が用意されるのは午前11時を過ぎてからのことなのだ。 「陸羽」に限らず、昼の飲茶のスタイル、様式にも関係してのことである。
昼の飲茶の「午茶」を、一人で楽しむ人がいないわけではない。
が、多くの場合は、連れ添う仲間がいる。平日などは、仕事仲間か、あるいは、仕事相手との語らいだったりするようだ。それが週末になると、家族の集いが中心になる。その様子は、手に取るようにわかる。
そんな「午茶」の飲茶は、点心を何種類かと、野菜の炒めもの、煮込みものなどに、「粉麵飯」から何か一品、というのが至ってオーソドックスな料理構成である。日本のガイドブックなどでは、点心ばかりがずらり、というのがほとんどだ。
飲茶は点心だけを食べるもの、と理解する向きもあるようだが、実情は違う。「陸羽」の「粉麵飯品」が午前11時から用意される理由もそんなところにある。
さて、「陸羽」の麵類だが、麵の種類は「生麵」、「伊麵」、幅の異なる「辦麵」が2種。ビーフンは細い「米粉」、幅広の「河粉 」がある。
サイズは「窩」、土鍋入りのものと、「碟」、ひと皿ということだがゆうに3~4人分はある。そして「碗」。ひと碗、一人用のものである。
まず「窩麵」のメニューは七品。その最後に「免治牛肉窩麵」というのがある、のが面白い。
次いで、皿盛りの麵がずらりと並んでいるが、そのほとんどは炒麵で、とろみあんかけのものが多い。その中には「星州米粉」、シンガポール風のビーフンや、「干炒牛河」、牛肉と幅広ビーフンの炒めもの、なども含まれる。
悔しいことに私はまだ「麵品」のメニューのすべてを踏破しておらず、何品かを食べたことがあるだけだが、いずれも失望したことがない。
たとえば具沢山の「八珍炒麵」。それとは対照的にいたってシンプルな「鮮菇蝦仁辦麵」など、素材の新鮮さ、調理、味付けの巧みに目を見張ったものだ。なんてことないのに、旨い、のである。
さらに、碗盛、一人用のスープ仕立ての麵料理が25品。その最後から2品目にあるのが「京醬肉麵」。さきにもふれてきた「京都炸醬面」である。
が、「陸羽」の「京醬肉麵」は、実際には汁なしで「炒麵」式か「撈麵」式のもの、汁ありの「京醬肉麵」がある。さらに、その麵を好みに応じて変えられるのだから、全部で8種、ビーフン2種を加えれば10種の「京醬肉麵」があることになる。もっとも、基本的には、麵の注文が多く「米粉」、「河粉」で注文する人はそういないようだ。
「陸羽」の「京醬肉麵」を初めて食べたのは、初めて「陸羽」を訪れた時のことだった。飲茶のメニューにその名があったからだ、と思うが、頼んだところ目の前に現れたのが、汁なしのそれだった。甘味、辛味が一緒くたになった濃厚でいて、なんだか懐かしい味がしたのを覚えている。その懐かしさは、今から思うに「酢豚」の味付けに似ていた、からではないかと思う。
そして知ったのが、汁ありの「京醬肉麵」。それはスープ入りの麵とともに「炸醬」の具が別皿で添えられているものだ。その具をスープ入りの麵に注ぎいれて食べるのである。
スープ、というのは「二湯」だが、「陸羽」のそれは独自の工夫がある。汁なしなら「炸醬」の具をそのままに味わうことになるのだが、汁、つまり、スープ入りの麵に「炸醬」の具を注ぎ入れると、甘味、辛味が和らぎ、ほどけて、まろやかな味、風味になる。鋭い辛味で刺激が欲しければ、広東人好みの「辣椒醬」を加えればいい。
「陸羽」の「京醬肉麵」は、顧客の間でリクエストの多い人気メニューのひとつ、だそうである。
実際に食べれみれば、その理由に納得がいく。
懐かしさがこみあげてくる味だ。老舗の風格、気品、洗練がそれから汲み取れる。
同時に、時代から取り残され、しかも、ひなびた趣がある、というのにも惹かれる。
香港の歴史が刻まれた味、といえるだろうか。
画像は、その「京醬肉麵」の使用前、使用後、である。