2007/02/11

閑話休題~マカオ・香港旅行(11)


 湾仔の軒尼詩道と盧押道が交差するあたりから銅羅湾に向かう地域の周辺には、粥麵屋や小食店が立ち並んでいる。かつて「酔湖」(現在「生記飯店」があるところだが)に頻繁に通っていた頃、通りすがりにあっていつも気になっていたのが「永華雲呑麵家」だった。



 ある時、時間の余裕があって飛び込み、食べたのが「鮮蝦雲呑麵」。まずは「だし」に驚いた。それまで香港の粥麵店で食べてきた「雲呑麵」の「だし」だが、私には塩味が強く感じられ「濃い」という印象があった。その理由の根源は「蝦子」にあり、とにらんでいた。



 それが「永華雲呑麵家」のだしは、すっきりとして軽い。おそらくは「大地魚」を多く使って、旨味を出しているのに違いないと思った。さらに「麵」。それも「生麵」だが、しっかりした腰がありながら、スっと歯が入って噛み切れるサクサク感があり、おまけに「麵」、つまりは小麦粉の旨さもある。


 香港の「粥麵屋」に飛び込んで「雲呑麵」を頼んだものの、ただただゴムのように硬いだけという「生麵」に出会って、ひどい目にあったこともある。


 そして「具」。皮の「厚み」、というか皮の「薄さ」。それに、皮に対する「具」の分量、また「具」の中身の「蝦」のすり潰しようや、中身の按配、味付けもよく、しかも、「麵」、「だし」とともに「三位一体」のバランスを保っている、というのに驚いた。その「麵」が、機械打ちではなく、「竹」の棒をつかって、コネコネ、というのは後に資料を調べて知ったことだった。
 

 私が香港で最初に惹かれた「雲呑麵」は、佐敦にある「麥文記」だった。その近くにある「禰敦粥麵」も魅力的だった。

 が、いずれも「だし」が私には濃い目に感じた。「蝦子」を使っているせいだろう。そして「具」そのものでいえば、やはり威霊頓街にある「麥奀雲呑世家」のそれである。


 「雲呑」の「具」はおおきくはあるべからず、という店の信条を物語るのが屋号にある「奀」の一文字。

 小ぶりで、しかも、「具」自体、さらにはわたしには少々濃い目に感じる「だし」とのバランスからすればなるほどと思う。


  ちなみに上環の永吉街の「忠記」、それに、銅羅湾にある「池記」は、「麥奀」の親類関係にある。が、先代は店の企業秘密の全てを、彼らには明かさなかった、という話もあるのがおもしろい。


 そして「麥奀」のほぼ真向かいに雲呑の大きさを売り物にした店が開業し、香港でも話題になったのだが、単に「具」の大きさを誇示するだけで、「麵」、「だし」は、いまひとつだから、バランスにかける。その店は、日本のガイドブックに紹介されているのだが「雲呑が大きくて食べ応えあり!」、なんて「をいをい」というような紹介がなされている。



 「雲呑の「具」は、皮が薄くて、「金魚」の「尾」のようにひらひらとしてること。「具」の中身は、やはり「蝦」だけでなく「豚肉」が入ってなければ「旨味」を出せないからね。それに「蝦」と「豚肉」の分量の比率も、ポイント。昔は「蝦が3、豚が7」というのが一般的だったが、近頃は「蝦が9、豚が1」というのが一般的なようだね。それに豚肉も、肉の身と脂のバランスというのも肝心なところ、なんですよ」と語るのは「鏞記」の甘健成さんだ。


 「鏞記」の「雲呑麵」は、同店の名物料理のひとつである。むろん、「麵」はもとより、「具」、それに「だし」に工夫がある。 今回、久々に「鏞記」の「雲呑麵」を食べて、旨さを再発見したのでありました。