香港の粥麵事情のおさらいをするうち、以前紹介した蔡瀾さんの「香港美食大神」の「好旺角」を紹介した項目で、興味深い記述を見つけた。
「好旺角」の「牛腩撈麵」と「牛筋撈麵」について「ここのは旨い」とほめたあとで「いまだに、広東人が作った「牛腩撈麵」と潮州人の作った「牛腩撈麵」がよくわからない人がいるが、実際にはとても簡単で、食べればすぐにわかる。またはタレを見ただけでわかるはずだ。広東人は味噌っぽい「辣椒醬」を使い、潮州人は、唐辛子をから煎りにした「辣椒油」(ラー油)を使う。この二つは決して一緒くたのものではない」、というものだ。
蔡瀾さんは「料理の鉄人」で審査員を務め、辛口の評で日本でもその存在を知られるようになった。これまでふれてきたように、ブルータスの96年12月1日号の香港特集で香港の食について語りあったこともある。また、映画人としての足跡については「香港音楽大全」(ミュージック・マガジン社)」で話を聞き、紹介してきた。
香港を拠点に活動している香港人だが、生まれ、育ちは香港ではなく、シンガポール。潮州系の中国人である。幼い頃、映画館の上に住んでいたことから、映画館に出入りして映画の魅力にとりつかれ、その後、日本に留学。日大の芸術学部で学んでいた頃、当時、香港や東南アジアで人気のあった日本映画の輸出や翻訳の仕事にかかわり、やがては香港を本拠に、映画界で活躍。食へのあくなき興味、関心もあって、新聞などでも執筆するようになった文化人、という経歴の持ち主だ。
「香港美食大神」はじめ、地元の新聞、雑誌で執筆しているコラムなどでは、辛辣な食批評、店紹介をしながら、時に、潮州人としての顔をのぞかせる。シンガポール出身の潮州人、つまりは、外国人として香港の食事情を捉える冷静な観察眼があり、また、潮州系の料理、店に関しての記述においては、その真髄を紹介すべく熱弁をふるう。
先のコメントにも明らかなように、「潮州料理」は、「広東料理」の系列に組みいれられるが、実際には独自の食文化をもつものであり、「広東料理」とは一線を画すものである、という熱い主張がある。
それが、蔡瀾さんのコメントの面白さ、魅力なのだ。が、「香港のほんとうの美食ガイド」(幻冬舎)では、単に「食文化評論家」として紹介されているだけで、そのあたりの蔡瀾さんの鋭い見解を日本の製作者、翻訳者は理解できなかったようだ。
さて、蔡瀾さんの語る、広東系と潮州系の店における「牛腩撈麵」の違い。それは牛のばら肉の煮込みである「牛腩」そのものの調理方法が、広東系と潮州系ではまったく異なる、と言うことからも明らかだ。
広東系の「牛腩」はじめ、各部位や臓物の煮込みには「柱候醬」などの調味料を使う。一方、潮州系のそれは「清湯」、つまりは、茹でて、アクをとり、煮込み続け、澄ましスープ仕立てにする。香港には茹でた牛ばら肉の煮込みの「清湯牛腩」を看板にする小食店がある。また、潮州系の「粉麵店」のメニューにある「牛腩」のほとんどは、その種のものだ。しかし、広東系の「粥麵店」、料理店でお目にかかれるそれは、「柱候醬」などで煮込んだものなのである。
さらに「牛腩」につけて食べるタレ、というよりも、調味料だが、それは蔡瀾さんの記述通り。そうしたことからも、広東系の「粥麵店」と潮州系の「粉麵店」はまったく異なるもの、ということが理解できるのだ。
「清湯牛腩」を看板にする店、しかも、評判の高い店の数は限られている。それにくらべて多いのが「牛什」、つまりは牛の内臓類、さらには豚肉の内臓類の煮込みを看板にした小食店、小販、つまりは手押し車式の移動屋台だが、その多くは、実は潮州系だったりするものだ。
文藝春秋臨時増刊号でも紹介した鏞記の「清湯牛爽腩」。社長の甘健成さんの話によれば、アイデアは潮州式の「牛腩」のそれ。が、「潮州式の「牛腩」の煮込みとは違って、部位を限定して作った」、というのがご自慢だ。
その部位とは、日本では「はらみ」、涎掛けとも称される横隔膜の肉だけを使い、じっくり煮込んだものだ。部位の入手が難しく、数が限られることや、作るのに手間隙かかることから、鏞記の「清湯牛爽腩」は、数量が限定された特別メニューになっている。
画像は、蔡瀾さんの著作。内容充実、香港の食に関心のある人なら、必読の一冊です。