これが文藝春秋臨時増刊号の表紙です、と画像をアップするつもりが、PCトラブル発生!
早速、修理に出しましたが、その間、代替機に使ったPCが古く、ブログの更新どころか、日常のメールのやり取り、原稿書きにも支障をきたすような状態でした。ようやく、PC復帰。
臨時増刊号、発売からかなりたってしまいましたが、ムックですのでしばらくの間は店頭にある模様。ですが、店によって置いてある場所が違う様子、というのがちょっと厄介なのですが。
さて、「麵屋」話に続いて「粥屋」話。と言いたいところだが、私、日頃から「粥」を滅多に食べない。そんなこともあって香港でも「粥屋」には滅多には行かないし、出向く店も限られている。
とはいえ、香港に出かけるという方から、店の情報やコースの組み立ての依頼があった際、あわせて「粥屋」の情報をと、所望されることが多い。反対に「麵屋」についての情報のリクスエストは滅多にない、と言っていい程だ。
どうやら「香港人の朝食はお粥」、「香港に行くなら、朝食はお粥」というイメージ、定説が今だに定着し、圧倒的多数を占め、それを信じて疑わないことによるものらしい。そうしたイメージ、定説は、間違いなく日本で、また香港を旅行する日本人によるものだ、と言っても過言ではないようだ。
たとえば、「粥」を紹介した香港や中国のサイトには「「粥」は日本人が好んでやまないもの。さらに加えるとすれば、潮州人もそうである」と言った記述を見かけることがある。それにしても、いつ、誰が「香港人の朝食はお粥」、「香港に行くなら、朝食はお粥」といったことを紹介し、それが定着してしまっただろう。おそらくは、日本人の粥に対する親しみや、それを朝食にし、また、地方の名物になっていたりすることに、関係しているのではないか、と思う。
むろん、香港にだって朝食に粥を食べる人はいる。が、粥だけが香港の、香港人の朝食でないことは、拙著「香港的達人」はじめ、雑誌の香港の食の特集などで何度もふれてきたことだ。「粥」ではなく、米の粉を蒸して作った「腸粉」を食べるという人もいるし、朝食にはむしろ「腸粉」を好む人が多いようだ。そういえば、啓徳空港時代の話だが、早朝の「美心餐庁」やビュッフェでの人気メニューは「粥」ではなく「腸粉」。順番を待つ人の列がそれを物語っていたものだ。
それより、夜食の「宵夜」に「消化にいいから」という理由から、「粥」や「腸粉」を食べる、という人は案外多いようだ。その理由が物語るように、香港でも「粥」は消化のよさ、胃への負担のなさというのが重視されている。
日本の各地に名物の「粥」がある。それも、朝食にうってつけ、ということで、私も一応それらを試したことがあるが、なんだか、物足りなかった。それよりも、「粥」といえば、「病気の時」、あるいは「病み上がり」の時の食事というイメージがある。実際、私が「粥」を作り、食べるのはそんな時だ。しわしわのしょっぱい梅干を「粥」に入れて食べる。具合の悪い時など、しみじみとその素朴な味わいにひとごごち、なんてこともあるのだが、日頃はそんなことなどすっかり忘れてしまっている。
香港などでも「お粥は病気か、病み上がりの時ぐらいしか食べない」という人は少なくないのだが、その実態はあまり知られてはいないようだ。 とはいっても「香港に行くなら、朝食は絶対にお粥」というリクエストがある。また、市場調査!という目的から「粥」屋にたまに出かけることがある。もっとも、その大半は、なんだかなあ!と、しっくりこない。口にあわないのだ。
そんな中で、あそこなら、という店が何軒かある。香港に通い始めた頃、やはり旅仲間に「香港の朝食はお「粥」」と執着する人がいて、しばしば出かけたのが中環の皇后大道中にある「羅富記」だ。それ以外では名前は逸したが銅羅湾にあったいくつかの店に何度かでかけた。
尖沙咀では、深夜、場所の便利さから厚福街にある「洪利」にでかけたものだ。そういえば、東山堂の原田さんの最新の香港レポートに「洪利」がリニューアル・オープンした、という報告があった。過日のマカオ・香港の旅で、もし滞在先が九龍側ならもしかして、でかけたかもしれない。今度、香港に行ったら試してみることにしよう。
で、最近のお気に入りの「粥」屋といえば、香港島なら上環の「生記」、九龍なら旺角の花園街市の上にある「妹記」である。