これぞまさしく秋ならではの一品。

「この百合根のほくほくした感じ、甘味がいいですね!」
「それにこの銀杏も旨い。触感と味、風味がいいですね。
ほら、焼き鳥屋で焼いた銀杏を食べると、香ばしくて、ぷちぷち、ぎしぎしっとしてて、噛み締めると渋みやほろ苦さがあって、独得の甘味、風味がでてくるでしょ?
それが、茶碗蒸しだとか、ひろーす、ほらがんもどきね、あんなのに入ってて、蒸したり、煮込んだりすると、甘味がたって、噛み締めるとクリミーだったりするでしょう? それが、こうやって炒めると触感とか、味、風味がびみょーに違いますね。このぎしぎしとした触感って焼いたのに似てるけど、ぷちっと弾けるような感じじゃなくって、しっとりねっとりとした弾力があるよね。それに渋みやほろ苦さが消えて、甘味、それにクリーミーなかんじがするし」
「銀杏もいいけど、この百合の根、ほんとに美味しい。でんぶん質ですね、この甘味。それより、百合根にしろ銀杏にしろ海老にしろ、火の通し方が素晴らしいですね。ウチジャア絶対出来ないプロの技。それに、味付け、すっきりとしてて、上品ですごく洗練されてるのね。これも、ウチじゃ絶対に不可能!」
なんて、私が言おうとしたこと、先取りされちゃいました。
そう、火の通しから、味付けは、まさにプロの技。それより、この手の料理、日本の一般の広東料理店だと、仕上げにとろみのあんかけ、なんてのがほとんどです。それが、中国料理、広東料理ならではの味、調理だと思いこんでる人、料理人をふくめての話ですけど、少なくない。
はたせるかな袁さんの手になる「白果百合泡蝦仁/芝海老と銀杏・百合根の炒め物」、画像をみれば明らかなように、こってりたっぷりのとろみつけなんかなし。海老にしろ、百合根、銀杏、セロリにアスパラ、それぞれの素材の味がはっきりとわかる。
とろみで最後に仕上て、素材を味付けで食べさせるんじゃなく、素材の持ち味を引き出し、風味を生かすのが広東料理の真髄、なんてことがこんなごくオーソドックスな炒めものの一品でよーくわかります。
