本日、誕生日を迎えました。誕生日には香賓開けて、というのが恒例でしたけど、子供の頃の誕生日にならって鯛と赤飯で祝いました。幼稚園から小学校の低学年ぐらいまでは鯛に赤飯というのが誕生日の食事だったからです。
神戸で鯛といえば明石の鯛。ですが明石の鯛は晩春と秋が旬(のはず)。6月ともなると旬を逸しています。とはいえ、明石の鯛はやっぱり旨い!と子供心に思ったものです。
もっとも、そこに(ビフ)テキという強敵が現れる。しかも洋食やでナイフとフォークを使って食べるのを知って以来、家の食事でもそれに倣いたくて、それまで箸で食べてたコロッケやトンカツ、フライの類も洋皿に並べてナイフとフォークで食べたいとせがむ気取ったマセガキでした。
ましてや(ビフ)テキを食べるにはナイフとフォークは不可欠なもの。しかも誕生日の(ビフ)テキは心踊るビッグイベント。しかし、誕生日に食べる鯛の美味も捨てがたい。
毎年、誕生日が近づくと「鯛にする?それとも(ビフ)テキにする?」という母親の問いに、どう答えるか思い悩む日々を送る食い意地のはったガキでありました。
画像は今月の「赤坂璃宮」銀座店での恒例の会議の際、点心料理長の久保田さんにお願いして作ってもらった「桃包」。
これまで友人、知人の誕生日の宴会で何度も味わってきた「桃包」ですが、私の誕生日に食べたことはありませんでした。
そんなことから、毎月恒例の「懷舊点心」、この機会を逃してなるものぞと久保田さんにリクエスト。蓮の実餡仕立ての「桃包」。
久保田さん、願いを叶えてくれて有難うございます。
2011/06/02
ゴールデンウィークにいいもん聞いた~その5
5月6日には長野のBIGHATで小田和正の『KAZUMASA OSDA TOUR 2011 どーも どーも その日がくるまで』。
3月に発表された小田和正の『どーも』。内容充実の素晴らしいアルバムです。表題は小田和正がステージに現れる時のいつもの挨拶、でしたっけ?ともかく、気軽な感じですが、その内容、表題とは裏腹に、意味深くて、味わい深い。
作品のいつくかの断片はCFやTVの番組などで馴染みもの。ですが、ひとつひとつの作品、アルバムそのもの、全体を通して耳にすれば、まったく印象が異なります。そのメロディー、歌詞、演奏、サウンド展開は充分に吟味されたもの。
しかも、その歌詞から浮かび上がるのは小田和正のこれまでの足跡を踏まえ、今、さらには明日を見据えた明快な視点。小田和正そのものが浮かび上がる。
70年代初期のシンガー=ソング・ライター風を思わせる懐かしさが甦る作品をはじめ、そのひとつひとつがそれを歌うにふさわしい楽器を小田自らが手にして歌い、様々な演奏、サウンドを展開、というあたりも面白い。
そのすべてにおいて、核になっているのが、小田の作品と歌。同時にそうした歌詞、作品は、世代を超えて共感しうる普遍性、深さ、訴求力、説得力がある。というあたりが見事です。しかも、J-popの成熟を物語るものであり、その頂点を極めた作品というにふさわしい。実に見事なポップ・ヴォーカル・アルバムです。
そんな作品の中には奇しくも今回起きた東日本震災の罹災者、また、救いの手を差し伸べようとする人々にとって、意味のある歌でもあった。実は、これまでに小田和正が手がけ、歌った作品には、今と明日をみつめ、聞くものを勇気付け、エールを送る歌をてがけ、歌い続けてきた。
今回の出来事との遭遇に小田自身、今回のアルバム『どーも』、さらにはその発表に併せてのツアーを実施するかどうか、思い悩んだ末にアルバムの発表とツアーの実施を決断、という経緯もあったそうです。
長野のBIGHATでのツアーでの初日に出かけたのはそんな小田和正の今の思いを知りたかったからです。そして、目の当たりにしたコンサート、思いのほか小田和正の心は揺れてる様子でした。
東日本震災が起きる前、準備していたツアーの内容を改めて熟慮。手探りで新たなスタートを切ったことがとうかがえ、PAを含めてまだ未消化なところも散在。 「hello hello」では思い余って歌に詰る場面も。
それでも、最後には「明るく、最後まで、笑顔で走り抜けます!」と宣言。
誠実でひたむきな小田和正の人柄が現れてました。
人との絆、そんなことが思い浮かぶ公演でした。
3月に発表された小田和正の『どーも』。内容充実の素晴らしいアルバムです。表題は小田和正がステージに現れる時のいつもの挨拶、でしたっけ?ともかく、気軽な感じですが、その内容、表題とは裏腹に、意味深くて、味わい深い。
作品のいつくかの断片はCFやTVの番組などで馴染みもの。ですが、ひとつひとつの作品、アルバムそのもの、全体を通して耳にすれば、まったく印象が異なります。そのメロディー、歌詞、演奏、サウンド展開は充分に吟味されたもの。
しかも、その歌詞から浮かび上がるのは小田和正のこれまでの足跡を踏まえ、今、さらには明日を見据えた明快な視点。小田和正そのものが浮かび上がる。
70年代初期のシンガー=ソング・ライター風を思わせる懐かしさが甦る作品をはじめ、そのひとつひとつがそれを歌うにふさわしい楽器を小田自らが手にして歌い、様々な演奏、サウンドを展開、というあたりも面白い。
そのすべてにおいて、核になっているのが、小田の作品と歌。同時にそうした歌詞、作品は、世代を超えて共感しうる普遍性、深さ、訴求力、説得力がある。というあたりが見事です。しかも、J-popの成熟を物語るものであり、その頂点を極めた作品というにふさわしい。実に見事なポップ・ヴォーカル・アルバムです。
そんな作品の中には奇しくも今回起きた東日本震災の罹災者、また、救いの手を差し伸べようとする人々にとって、意味のある歌でもあった。実は、これまでに小田和正が手がけ、歌った作品には、今と明日をみつめ、聞くものを勇気付け、エールを送る歌をてがけ、歌い続けてきた。
今回の出来事との遭遇に小田自身、今回のアルバム『どーも』、さらにはその発表に併せてのツアーを実施するかどうか、思い悩んだ末にアルバムの発表とツアーの実施を決断、という経緯もあったそうです。
長野のBIGHATでのツアーでの初日に出かけたのはそんな小田和正の今の思いを知りたかったからです。そして、目の当たりにしたコンサート、思いのほか小田和正の心は揺れてる様子でした。
東日本震災が起きる前、準備していたツアーの内容を改めて熟慮。手探りで新たなスタートを切ったことがとうかがえ、PAを含めてまだ未消化なところも散在。 「hello hello」では思い余って歌に詰る場面も。
それでも、最後には「明るく、最後まで、笑顔で走り抜けます!」と宣言。
誠実でひたむきな小田和正の人柄が現れてました。
人との絆、そんなことが思い浮かぶ公演でした。
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